ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜

「遅い」
 いろはは私を見て文句を言った。
「これ、やっといて」
「え」
 いろはが突き出してきたのは、特別教科の副材として配られた本だった。
「……こういうのは、あぶないんじゃない?」
「あれはっ! あんたがきちんと説明しなかったからじゃん」
「……」

 去年、いろはから丸投げされた自由研究が高評価を受けた。
 いろはは皆の前に出されて過程を発表することになった。
 黒板の前でなにも答えらえず、具合が悪くなったふりで保健室に連れていかれたらしいけど……、後日私は、“説明のためのカンペ”を作る羽目になったのだ。

 ――『パパも自由研究で何度も賞をもらったんだぞ! いろははパパに似たんだなあ』
 いろはの部屋の窓辺にこっそりカンペを持って行ったら、専務が目尻を下げていろはの頭を撫でているのを見た。
 ……。
 紙を持っていた指先に無意識に力が入ってしまい、シワになって慌てた。
 案の定、「読みにくいから書き直してきて」と言われたっけ。
 

 いろは片頬を歪めた。
「これはただ読んでまとめるだけだから、あんたでもできるでしょう」
「……」
 だったら自分でやったらいいじゃない。
 そう心の中で思うけれど、私はじっとしていた。
 いろはが、自分の『イメージ』を守るために必死なことに気付いていたから。

 いろはは昔から特別扱いされていた。
 地元の有力者である祖父母の傘、有名な老舗旅館の娘という看板、両親だけじゃなくふたりの兄から大切に守られている姿が、いろはを特別な存在にしていた。

 いろはが望むことはなんでも叶う。――叶えられる環境にいた。
 ピアノ、バイオリン、バレエ、茶道、日本舞踊、乗馬……
 次々に手をつけて、次々にやめていった。
 周りには『なんでも出来てしまうから飽きるのが早い』と言っている。だけど実際はついていけなくなるのだ。


「……いつまでにやればいいの」
 あきらめて言った。
 たぶん、同じ課題が近々私のクラスでも出されるだろう。 
 内容が被らないようにしなきゃ……
 
「あと、もうすぐ中間テストじゃん」
「ああ、うん」
「テストに出そうなとこ、全教科書き出しといてよ」
 範囲広すぎない?
 黙っていると、いろはの指に腕を抓られた。
「痛っ」
 思わず声が出た。  
 さらに指先に力を込めてきた。
「あんたが追い出されないのは私のおかげだだよね」
「……」
 悔しいけれど、それは本当のことだ。
 なにかあるたびに、私を児童相談所に送るべきだ――という話が出る。
 なぜうちが誘拐犯の子供の世話をしなければいけないんだ、と。
「だからあんたは、身の程をわきまえるべきよ」
 再び伸びてきた指先が同じところをぎゅうっと捻る。 
 私は唇を噛んで、耐える。

「小峰君といつのまに親しくなったの」
「別に、親しくなんか」
「あんたのこと名前で呼んだじゃん!」
「……」
「私が“狙ってる”男子だって気づかないわけ?」
 ……まあ、そういうことだろうと察したけど。
 それでも、これは理不尽だ。
「あんたのせいで私、陰険って言われたんだよっ。どうしてくれんのよっ」
「いっ」
 強く抓ったまま、憎しみを込めてさらに捩じってくる。 
「今度小峰君に近づいたら、こんなもんじゃ終わらないからね」

 ザ――、ザザ――、
 乱暴に言い放ったいろはの声の後ろから、唐突に足音が近づいてきた。
 私もいろはも、ぎょっとして息を止めた。
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