ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
2-2 埋もれている夏
夏休みに入った。
私は相変わらず旅館で働いている。
「渚央ちゃん、裏で桶洗ってきて」
「はーい」
私は大きな桶を抱えて往復し、屋外水栓の前に屈んだ。すぐ近くを流れる源泉の音を聞きながら、タワシでじゃぶじゃぶと洗っては干して……を繰り返す。
夏休み、蓮見家の子供たちはそれぞれに予定がある。
来年大学受験の大樹は夏期講習に忙しく、剣道部に入っている翔樹は強化合宿中。いろはは女将の親戚の家へ毎年泊りがけで遊びに行っている。
正直、絡まれる心配がないためほっとしている。
鼻歌でも歌いたい気分だ。
「足が濡れているじゃないか」
「!」
ふいに背後から声がして――そしてその声の主が、大女将だということも振り返る前に気づき、私は緊張から身を固くした。
「拭くものがないのか」
「だ、大丈夫です。サンダルなので……」
「おまえの靴下が濡れているだろう」
「こ、このくらいは平気です」
水道の蛇口を捻って水を止め、振り向いて頭を下げた。
ポニーテールの毛束が耳の横に落ち、じりじりした夏の太陽がうなじに集まっている。
「……」
「……」
大女将が去るのをじっと待っているのに、その足先が動く気配はなかった。
私は恐る恐る、顔を上げた。
「おまえはよく働く子だね」
大女将は崩さない背筋のまま、低くまっすぐな声で言った。
「おまえの母親は下心があって必要以上に働いていたが」
黙っていると、「来なさい」と言われた。
「……」
一瞬、その言葉が自分の知っている意味と同じなのかと考えた。
大女将に促され、慌てて言う通りにした。
社長と大女将が暮らす離れは、旅館と同じだけ年齢を重ねた和風の家だ。古いけれど、温かい感じがした。
「ここで靴下を脱いでおあがり」
玄関先、私は立ったまま片方ずつ少し湿っている靴下を脱いで、ポケットに入れた。
「これでお拭き」
戻ってきた大女将にタオルを差し出され、躊躇しつつも受け取った。
足を拭いて、目の前に置かれたスリッパを履いた。
大女将に続いて居間へ入った。
「ほら。持っておいき」
目の前に段ボールが差し出された。
覗くと、中には靴下だけじゃなく下着やシャツやタオルが入っていた。
「旅館の非常時用のストックだ。新品だから、我慢して着なさいな」
「……いいんですか」
声が、震えてしまった。
これだけあったら、洗濯して乾かない下着を我慢して着なくても済む。
「洋服もあまり持っていないようだね」
「!」
「この一年、おまえを観察してきた」
……え、
その一言に私の背中が冷えた。