ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
「おひさしぶりです! お体の方は大丈夫ですか?」
専務の声も夫婦の声も、懐かしさに揺れている。
「ここ数年入退院を繰り返したけど、なんとか普通の暮らしができるようになったわ」
「お元気になられて、本当に良かったです……」
「妻は、歩ける体力がついたらいの一番に蓮見旅館に来たいって、それを励みに頑張ったんだよ」
「そうだったんですね……嬉しいです」
「ただ腰と膝がね」
「はい。伺っております。食事の際も椅子をご用意させていただいてますので」
会話が続いていく。
私は震え出した指先をシャツに押し付けた。
喉がからからだ。
「そういえば、娘さんに会ったわよ」
「いろはにですか?」
「感心したよ、夏休みなのに旅館の手伝いをするなんて。明るくて優しい、いいお嬢さんに育ったじゃないか」
「いろはが、手伝いをしてたんですか?」
「乙葉さんにそっくりだ。あんなに美人じゃ、この先虫がつくのが心配だろう」
「妻に……似てますかね?」
心臓がばくばくと早くなった。
……そうだ、目元を見られてしまった。
知らない人だから大丈夫だと、何も考えずに接してしまったから。
「でも、あなた。直樹君の子供の頃にも似てたじゃない。あの仕草……、うふふ」
「そうだなあ、旅館の手伝いをしてて、私たちの荷物をこう――」
「両手を広げてね」
夫婦の笑い声の中に、専務のそれは聞こえてこなかった。
「顔つきは乙葉さんかもしれないけど、笑った顔なんて直樹君そのものだったわよ」
「……あまり言われたことがないので、嬉しいです」
「ええっ? あんなに似てるのに?」
「いろはは、妻のおばあちゃんに似ているらしいんですよ」
「ああ、隔世遺伝ってやつか。そうだとしても君と乙葉さんの方が似ているんじゃないか?」
……だめだ、もうこれ以上は、怖くて……聞けないよ……。
私は息をつめて洗面所から静かに出た。
部屋の構造のおかげで、客間から入口は見えない。
私は慎重にほんの少しだけドアを開け、音が立たないように気をつけて閉めた。
廊下に出て、私は一瞬だけしゃがんだ。
そうして壁につかまりながら、その場から離れた。
【第二章*終わり】