ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
*
「ねえ、陸。大女将に、『書道部なら、書道パフォーマンスをするのか』って聞かれたんだけど、知ってる?」
陸が用意してくれた硯と墨液を前に、聞く。
放課後、こうして陸とふたりで書道をするようになって一週間が経った。
だんだん筆を持つことにも慣れてきた。
「……」
陸は少し黙ってから言った。
「そんな派手なの、うちには関係ないから」
「派手? いったいどんなことするのよ」
「気になるなら動画見る? 帰り俺んち回って。その後送ってくから」
「そっか、陸はスマホ持ってるんだね」
「学校には内緒な」
「わかってるって」
陸は私には、持っているか聞いてこなかった。
気を遣っているのかもしれない。
まだ友達になって日は浅いが、陸の不器用な優しさが分かるようになった。
説明不足が多くてモヤっとすることもあるけど。
「とにかく大会とかは自主参加。うちは部員が少ないし――じゃ、今日も『一文字ずつ』」
陸が筆を持って、私も慌てて倣う。
丸まった背中を指先で押されて「あ、そうだった」と頭を掻いて姿勢を正す。
意外とマジメな陸は、案外厳しい"先生"だった。
部活を終えて陸の家に寄った。
外で待っていると、目の前の食品加工会社から中年の男の人が出てきた。
「息子の友達かな?」
「!」
どことなく陸と似ている雰囲気に、慌てて挨拶をする。
「はじめまして。山都です」
「ああ、やっぱり」
陸のお父さんは優しい笑顔になった。
陸も大人になったらこんな顔で笑う日がくるのかな、ちょっと信じられないな……などと好き勝手想像していると、スマホを手に陸が戻ってきた。期待通りの無表情で「送ってくる」と告げている。
陸のお父さんは、少し切ない顔を私に向けた。
「大変だろうけど負けないで頑張るんだよ」
「……」
何もかも知っている、みたいな表情が印象的だった。
私は何と答えたらいいのか分からず、ただ頭を下げた。
「……陸のお父さんって」
動画を見せてもらった後で、聞いてみる。
「私のこと知ってたね」
「……」
陸は急に早口になった。
「俺が言ったんじゃないから」
「ん?」
「先生が『相談がある』ってうちに来て」
「!」
私は、――ああ、と納得した。
ようやく繋がった。
前に陸が言ってきた"高校の提案"は、ここからきていたのだ。
私の進路を心配した先生が、会社に支援制度がある陸の親に頼みに行った。それを陸が聞いて心配してくれたのだろう。
「あのさ、あいつからまだイジメられてる?」
歩き出してから陸が聞いてきた。
"あいつ"が誰なのか言わずもがな、だった。
目の前に飛んできた虫を手で払いながら、私もいろはの名前を出さずに「大丈夫だよ」と答えた。
それに、いろはと関わらなくなったのは本当だった。
離れで暮らすようになってからは学校以外で会わなくなった。
そういえば宿題も持ってこない。
……叱られたのかな?
「同じクラスだし、陸は喋ったりしないの?」
「しない」
陸は言い切った。
「じゃあさ、気が向いたら喋ってみてよ」
無理とは言わないけど――と続けようとしたら、陸がかぶせ気味に聞いてきた。
「ムリ。てか、なんで?」
「んー」
私は夕方の夏空を見上げて考える。
「強いて言えば、平和のため?」
「は?」
できればいろはとはトラブルなく過ごしたい。それに家族みんながいろはを大切にしているし。
陸がぶつぶつ言い出した。耳を傾ける。
「翔樹先輩にも言ったんだけど、俺、あいつムリだから」
「!」
突然出てきたその名前に私は一瞬で緊張した。
「この前も付き合うのはまだ早い、とかわけわかんないこと言ってきて、すげえ迷惑」
「……」
陸が翔樹と繋がってるのかと思ったら、条件反射みたいに喉が閉じてしまった。
翔樹は離れによく来る。
暴言の代わりに観察するような視線を向けてきて居心地が悪い。
「あっ! もうここでいいよ」
旅館が見えてきて、私は立ち止まって言った。
陸が頷く。
「じゃあね」
「うん。また明日」
小川のせせらぎを背に別れの言葉を掛け合って、互いに方向を変えた。
――この時、私は知らなかった。
いろはが、私たちを見ていたことを。