ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
第四章

4-1 動き出した本当の時間


 「――――な……、あ――、……」
 目を見開いた『母』が、胸を押さえながら必死に唇を動かそうとしている。
「……」
 私は母と視線を合わせた。そうするしかできなかった。
 母が口元を覆った。
 その両手が大きく震えている。
 『祖母』が壁に手を付きながら、もつれた足取りで近づいてきた。崩れるように膝をついて、両手で私の頬を挟んだ。

「……渚央」
 その切実な呼びかけに、胸を突かれた。
 私は涙を拭ってから「はい」と返した。
「……晴樹が……帰ってきました」
 笑顔を向けたいけれど、また涙が溢れてしまう。
 再会の余韻の向こうでは、警察官が動き出していた。
 
 晴樹は大人たちの呼びかけに立ち上がって、向けられた質問に答えている。――この家で間違いない? 覚えていることはある?
 慌ただしくなった室内で、『父』だけが動かず立ち尽くしていた。
 周りの音にも反応せず浅い呼吸を繰り返し、ただ私をみつめてくるだけだった。
 
「晴樹君、自分の家族のことが分かる? ひとりずつ言える?」
 警察官の質問に晴樹は、こく、と頷いた。
「お父さん、お母さん、お祖母さん、大樹お兄さん、翔樹お兄さん、渚央お姉さん。あと、"いろはさん"です」
「!」
 私の心臓がばくん、と跳ねた。
 晴樹が、私が姉だと知っているなんて……。

「静かな部屋をお借りできますか? ご家族の方に失踪当時の状況を順番にうかがいますので」
 刑事が家族に向き直った。
「後日、DNA鑑定にもご協力をお願いするかもしれません」
 DNAという単語に“家族”が打たれたような表情をした。恐怖と緊張と動揺が、晴樹ではなく私に向かってくる。
「――ご案内します」
 両親がまともな様子ではないからか、大樹が一歩前に出た。けれど大樹の体もふらついていた。
「晴樹君のすぐ上のお姉さんからうかがいますか」
 数人の刑事が私を見た。
「……」
 私の喉が鳴る。
 誘導のまま、足が動く。

「――ちょっと、……違うじゃんっ」
 いろはの引きつった声が追いかけてきた。
 私は不格好に振り返る。
「関係ないよねっ」
 いろはの人差し指が私に向かってまっすぐに伸びた。
「これっ、家族の話っ」

「……」
 祖母が弾かれたように両親を見た。
 物々しい部屋の中で、その言葉の衝撃が周囲の音を消した気がした。
 私は後退りした。

「……戻ります」
 刑事たちの探るような視線に我に返った。自分がどの立場でここにいていいのか、分からなくなった。
 深く頭を下げて、そのまま俯いて廊下へ出た。
「渚央お姉さんっ」
 晴樹に呼ばれた。私は顔だけを向ける。
「また来てね」
 心配そうなその声に――私は晴樹のために無理に笑った。
 言葉は出なかった。
 ……涙が先に零れそうで。
  
< 58 / 110 >

この作品をシェア

pagetop