ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
       
 晴樹はソファから身を乗り出して、甘えるように翔樹に手を伸ばした。

「なかなか戻ってこないから迷子になってんじゃないかって、母さんが心配してたぞ」
 翔樹は晴樹にハイタッチしながら言った。
「じゃ、ぼくもどる」
 晴樹は立ち上がった。無邪気に手を振る。
「バイバイ」
 私も見送る。
 軽い足音が、ロビーから廊下へ向かって遠ざかっていく。

 
「……」
「……」
 図らずも翔樹とふたりきりになってしまった。

 沈黙が重い。
 母への複雑な感情を抱えたまま、恐る恐る顔を上げた。
 翔樹は父親似のしっかりした顎先をもぞもぞと動かしてから、整った二重瞼を伏せた。

「ごめんっ」
 そしていきなり謝った。
 切迫した声が続く。
「謝って許されることじゃない。けど、今までごめんっ」
「……」
 突然の謝罪が、いつも傷つけ合うだけだった空気を一気に変えた。
「俺、おまえと喋りたかった……けど、なかなかできなくて。今さらって」
 翔樹の言葉を反芻した。
 ……もしかして離れに何度も来てたのって、私と喋りたかったから?
 ほんとに?
 そこに行き着いた途端、心がむずむずした。
 
「う、うん。いいよ……」
 私の曖昧な返答に、翔樹がぎこちなく私を窺っている。
「あ、だから……喋ったり……ってことが」
 しどろもどろに言った。
「俺のこと許してくれるのか」
 翔樹は歯を食いしばっている。
 
「……」
 本音を言えば、これまでのことは腹が立つ。傷ついた。
 でも家族のことをこれ以上、父と母を苦しませたみたいにはしたくなかった。

「……私も、言わなかったの……悪かったし」
「は」
 翔樹は表情を歪め、吠えるように言った。
「おまえが悪いわけない! もっと怒っていい!」
 まるでそうしてほしいみたいな口調だった。
 仲直りしたいのかしたくないのかどっちなのかと、言いたくなった。
 
「親から聞いた」
 黙っていると、翔樹は続けた。
「渚央(・・)が、なんで俺たちに言えなかったのか」
 私は内容より、翔樹が私を名前で呼んだことに反応してしまう。
 これまでは想像も難しかったのに、そう呼ばれたらあまりに自然にすっと馴染んだ。
 ――私も呼んでみたくなった。
「つらかったよな……ずっとひとりで」
「あ、えっと」
 ……苦しい過去は消えない。
 なのに今、すべての記憶は眠りについたみたいにおとなしかった。

「近くで、顔見ていいか?」
 翔樹が距離を詰めてきた。
 私はためらいながらじっとしていた。

「……」
 前髪はヘアピンで留めている。
 翔樹は確かめるように私の顔を見て、声を震わせた。

「こんなに母さんに似てんのに……なんで気づかなかった……」
 私も目の前にいる父親似の翔樹を深く見ていた。

「隠してたし」
 苦し気な翔樹を助けるために言ってあげたら、急に調子に乗ってきた。
「だよな! 前髪めっちゃ長くて顔半分隠れてたよな」
「半分って大袈裟」
 遠慮なく言い合える感じが心地良くて、私も強めに言い返した。
 そして今だ、というタイミングに、勢いをつけて言った。
「翔樹だって高校生になって髪伸ばし始めたじゃん」
 一瞬間があって――
「……そこは、"お兄ちゃん"だろ。なんだよ、呼び捨てって」
 翔樹はぶっきらぼうに言った。だけど怒っているわけではなく照れているのだと、その尖らせた唇から察した。
 
「えっと、みんな、大丈夫?」
 翔樹と打ち解けたその勢いで聞いてみた。
「んー」
 翔樹は難しい顔をしたまま、みんなの様子を教えてくれた。
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