ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
咎めたいのか安堵しているのか、大樹を知らない私には声色から感情を拾うことができない。
「そりゃそうだろ。毎日渚央に会いに来てるんだから」
憮然とする翔樹の答え方で、咎められたのだと分かった。
「兄ちゃん、俺は渚央との時間を埋めたいんだ。一日でも早く」
「そんなに簡単なものじゃないはずだ」
「そうかもしれないけど、それでも努力したいし、しないと」
「!」
私は無意識に、また重くなった胃のあたりを擦った。
翔樹が私と会うことを『努力』と言ったことに、心が立ち止まってしまった。
……分かっている。
急に良好な関係になんてなれない。お互いに気まずさがあるのは当たり前のことだ。
――でも、会いたいから来てる、と言ってほしかったな、と思ってしまう。
「……俺は、謝って済むことじゃないと、言いたいんだ」
大樹はテーブルの一点に視線を落としていた。
「自分の気持ちを押し付けるんじゃなく」
大樹の言葉は重く、沈んでいくようだった。
沈黙の末、大樹は私を苦しげに見た。
「――どの面下げて、って思う。あれだけ君にひどい態度を取っておいて……」
「兄ちゃん、そこは『君』じゃなくて『渚央』だ」
翔樹の指摘に大樹が喉を鳴らした。
翔樹は語気を強めた。
「最初に呼ばないとずっと呼べない」
「……」
だけど大樹の口は開かなかった。
大樹がためらいながら立ち上がった。
私に向かって、深く頭を下げた。
「君にどう償えばいいか、考えさせてほしい……」
結局大樹は、私を『君』と呼んだままだった。
翔樹が小さく溜息をついている。
玄関に向かう足がふいに止まった。
大樹は小さく振り向いた。
「俺には、君からの感謝を受け取る資格はないから」
大樹の声はくぐもっていた。
「いろはが傷つけて、ごめん」
「!」
やっぱりボイラー室で助けてくれたのは大樹なのだろう。でも……。
……そうだよね、大樹もいろは側に立つんだね。
モヤモヤしたものの正体を知って薄く笑った。
翔樹にとっても大樹にとっても、"妹はいろは"なんだと。
「大丈夫ですよ」
私は顔を上げて、笑った。
どうせなら、きれいに笑おうと意識した。
「だから安心してください」
手を振って兄弟を見送った。
翔樹は「俺はまだ帰らないけど」と不満気だったが、私は「勉強したいから」と理由をつけてその背中を押した。
笑顔は崩さないままでいたが、心が、固くなっていた。
このまま扉を閉じて楽になろうと思った。
「明日っ、また明日来るからな」
翔樹が慌てたように私の腕を掴んだ。目に切迫感があった。
「ほらっ、兄ちゃんも渚央に言うことあるだろっ」
引っ掻いたような声だった。
大樹は眉間に苦悩をにじませた。
数秒かけて、押し出すように言った。
「――俺も、また来るよ……渚央」
「!」
とても小さな消え入りそうな声だったけれど、大樹が私の名前を呼んだ。
私はゆっくり瞬きをした。
胃のあたりにあった固い塊が、少し解けたような気がした。