ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
***【翔樹・後編】
スマホのメールを開いた。
陸からだった。
……よく、この番号が分かったな、と思ったが、それだけ必死なんだろうと気づく。
陸:渚央は大丈夫ですか?
陸は渚央のことだけを聞いてきた。
当たり前だが文面に、いろはの『い』の字もなかった。
陸:いつごろ学校来れそうですか?
俺の返信を待たずにまた入ってきた。
俺はしばらく画面を見て、短く返した。
翔樹:知らない
そこからのメールはなかった。
俺に聞いても仕方ないと気づいたのだろう。
そういえば、夏休みにも旅館のすぐそばで偶然、陸に会った。
――渚央に会いたかったんだと、後で気づいた。
あの日俺は、いろはが陸に気があることは知っていたから、呼び止めて少し話した。
「中学生は勉強しろよ」
数か月前まで自分も中学生だったくせに、自分を棚に上げて説教した。
そしたら陸は「俺は性格悪い女はムリなんで。特に陰険なのは」と言ってきた。
陸は臆せず俺を見て言った。
「渚央に近づかないでほしいです」
「……」
それまでいろはのことを話していたのだ。誰のことを指すのかは明らかだった。
『いろはが渚央をいじめている』と、兄から相談されたことも頭の隅にあった頃だった。
「あっ」
俺たちの間に妙な沈黙が流れる中、陸が急に声を上げた。
自転車に乗った渚央が駐車場側から道路に向かってくるところだった。
俺はとっさに隠れた。
少し前、偶然見た光景に心が掻き乱されていたせいもあった。
――渚央は、裏道で母が転んだ後で、母が躓いたであろう障害物を取り除いた。
誰にも知られることなく。
すぐ近くで、渚央と陸の声がする。
……「元気?」
……「あー。そっちは?」
……「まあまあ」
俺はふたりの短い会話を、大木の向こう側で聞いた。
のびのびした声――。
その声を聞いたのはいつぶりだろう。いや、聞いたことはなかったかもしれない。
渚央が見えなくなってから聞いた。
「もしかしておまえは、“あいつ”が好きなのか?」
陸はムッとしたまま、「先輩に関係ないですよね」と生意気なことを言った。
そうして陸は、少し遠回しにいろはの行いを責めた。
渚央のために、俺にいろはをいさめてほしいような口振りだった。
俺は適当にはぐらかした。
俺も渚央に憎しみをぶつけている。いろはがそれをしたからって叱る理由にならない。
だが……
いろはを軽蔑する陸を通して、俺は、“自分がしていること”に改めて立ち止まった気がする。
これまで『被害者』の俺たちに、面と向かってここまで言ってくる人間はいなかった。
なんとなくモヤモヤしながら陸と別れ、少しその辺をうろついてから家に戻ろうとした。
だが前方に渚央の姿が見えて、俺はなぜかまた隠れてしまった。
渚央も木の陰に隠れていた。
遠くで、父がうろうろしていることに気付いた。
……なるほど、と思った。
渚央が俺たち家族に会わないよう過ごしていることは、もちろん知っている。
渚央が家に来た日に、それを約束させたからだ。
何かを探していた父が、あきらめて旅館の方へ歩き去っていった。
ほどなく渚央が静かに自転車を引いて歩き出した。
自転車置き場は俺の進行方向だ。
渚央が旅館へ戻ったら、俺も出て行こうと思っていた。
だが、渚央は引き返してきた。
そして父と同じように、炎天下の中、下を向いてうろうろした。
父の落としただろう物を探しているのだ。
そうして最終的には、藻が浮いた汚い人工池に片足と腕を突っ込んで、『それ』をみつけた。
俺はこの日初めて、『渚央』をひとりの人間として見た。
いつでも俺たち家族にとっての渚央は『あの女の子供』だった。
だが……。
憎悪が俺たちの目を曇らせているのなら、それは間違っているんじゃないか?
俺は、渚央と話してみたいと思った。