ひとつだけ違う朝〜誘拐犯の娘として虐げられた私が、本物の家族を取り戻すまで〜
* *
「翔樹は、いつから学校行く?」
離れのソファでアイスをかじっていると、渚央に聞かれた。
俺は、どうすっかなあ、と曖昧に答えた。
「翔樹はともかく“お兄さん”は受験だし、学校行った方がいいんじゃない?」
渚央は兄を“お兄さん”と呼んだ。「俺のことは呼び捨てなのに」と文句を言ったが、内心では俺の方が渚央との距離が近い気がしてまんざらでもなかった。
「兄ちゃんは元々頭良いから大丈夫だろう」
兄もさっきまでここにいたが、家庭教師が来る時間だと、先に家に戻った。
「私、明日から行こうかな、って思って」
「まじか」
意外だった。
世間の風当たりを思えば、行きたくないと思うはずなのに……。
俺の視線を読んだのか、渚央はへへ、と笑った。
「先延ばししてもしょうがなくない?」
「……まあ、それはそうだけど」
俺は、親に急かされるまでは休むつもりでいた。
……どっちが年上なんだか、
渚央への恥ずかしさで、がしがしと頭を掻いた。
「渚央は、強いんだな」
愚問か。
強くなければ、晴樹を取り戻すためとはいえ、たったひとりで戦ったりしないよな。
「私? 強いのかな。わかんないや、何と比べたらいいのかな?」
「!」
渚央は深く考えずに言ったのだろうが、その言葉からは、渚央の孤独が透けて見えた。
「……」
胸が軋んで、俺は無理矢理ソファから立ち上がった。
「なあ、これからなにしたい?」
背中で聞いた。
この先は、渚央が望むならなんだって叶えてやりたいと思った。
「欲しいものでもいいけど」
そのままゴミ箱へ向かって歩き、アイスの棒を捨てた。
ソファには戻らず窓辺へ歩く。
「これから、か……」
渚央は考えていた。
そして神妙な顔で言った。
「私、ここが好きだからいつか旅館で働きたいな」
「……」
なにして遊ぶとか、どこへ行きたい、なにが欲しい――、そういう欲求が返ってくると思い込んでいたからか、俺は言葉を失った。
黙った俺に、渚央は「あ、図々しいかな」と焦り出した。
「私、昔から図々しいよね、ごめん。直せるなら直したいけど、無意識なんだよね」
へへ、と渚央が笑う。
目の奥がつんとした。俺は横を向いて、じわりと滲む涙を隠した。
……図々しいって、おまえが?
んな、ばかなことあるかよ。
「あっ。そうだ。私ね、書道部入ったって言ったでしょ」
渚央は話題を変えた。
「“おばあちゃん”が言うには、書道ってね、旅館の仕事に関係あるんだって! 誘ってくれた陸に感謝しないとなあ」
そうして渚央は、「早く役に立ちたいなあ」と夢見るように呟いた。
「……なあ、渚央。おまえが若女将やれば?」
窓の外、庭園の向こうを見てから言った。
「ええっ?」
「高校生になったら掛け持ちしたらいいじゃん。両立できるだろ、おまえなら」
そんな女子高生がいたっていいだろう、と思う。
「俺、応援する」
本心から言った。
渚央は蓮見家の娘だ。その願いが叶わないはずがない。
俺の視線が強すぎたのか、渚央がふっと表情を和らげた。そして両手を上げて言った。
「……翔樹に応援されてもなあ」
「なっ」
俺は、……おまえなあ、と突っかかる。
途端に普段の空気が戻ってきた。
渚央はいつも俺たち家族を見ている。
本当によく、見ている。
だから俺たちの感情にも敏感だ。
いつまでこんな風に、俺たちの顔色を窺わせて、我慢させなきゃならない?
なあ、渚央……。
せめておまえが、小さな我儘くらい口にできるようにならないとだめだよな。
渚央のためになにができるか――
俺はこれからも、考え続けるんだろう。
【翔樹視点・終わり】