嘘か真か 〜幼馴染に仕掛けられた恋の罠〜
嘘の告白と真実の告白
「好きだよ、碧。結婚しよう」
「……」
碧の思考が、完全に停止する。
(……は?)
何を言われているのか、文字通りの意味が全く頭に入ってこない。
(す、好き? ……け、結婚?)
動揺と混乱が頭を占める中、皐月は言葉を続ける。
「碧は? 俺をどう思ってる?」
(わ、私? 私……は……)
「ちょ、ちょっと待って……考える」
「……」
碧は昔からずっと、皐月を好きだった。
自分が親の離婚で苦しんでいたときも、父と別れたあと、仕事で忙しい母が家にいることも少なくなり、寂しさを感じていたときも、当たり前のように傍にいてくれた。
素直になれない性格で、まともにお礼を言えたこともないけれど、感謝の気持ちとともに育ったのは、自分でも持て余すほどの皐月への巨大な愛情だった。
けれど、碧は恋愛という関係性を信じきれない。
どうせいつかは壊れて終わる。
父と母がそうだったように。
この想いは一生隠し通すと決めていた。
伝えないままでいれば、これからも幼馴染として一番近くにいられる。
(……好きだって、言うわけにはいかない)
昔から皐月は女性関係が派手だった。
今の関係を続けるなら、一生耐えなければいけないということになる。
自分にとっては辛いところだが、仕方がない。
性欲が強いから、生きていく上で必要なことなんだと、自らの女遊びを肯定するクズなカミングアウトをされたことがあった。
あれは果たして必要な告白だったのか、未だに謎である。
(あれ、でも今……ゲームしてなかったっけ?)
ハッと我に返る。
ということは、さっきのあの真剣な告白は、全部ゲームの嘘だということか。
そう思った瞬間、胸の奥が引き裂かれるように痛んだ。
よりにもよって、こんな嘘を選ぶなんて。
(……さいあく)
皐月は、碧が本気で惚れているなんて全く考えていないのだと思う。
ただの幼馴染。
お互い何とも思っていない関係。
彼はそう信じ込んでいるからこそ、あんな嘘が平然と吐けるのだ。
(……腹が立つ。なんか、やり返さないと気がすまない)
これだけ心をぐちゃぐちゃにかき乱されて、黙ってスルーしてやるのは癪に障る。
(どうせ今、何を言っても嘘だと思われる。……だったら、いっそ言ってしまおうか。あんたが好きだって)
今なら最後には全部、なかったことにできる。
(動揺したら面白いし、どうせ嘘だと思うならある意味してやったりだし……。まぁ、五分前になったら見破られて終わりか)
嘘だと思わせて、本音で騙す。
(勝ち負け……じゃなくて、そっちのが重要になってきたかも。こんなこと、二度とできないだろうし)
ずっと隠し続けてきた、そしてこれからも隠し通すはずの言葉を、今だけは口にする。
気付かれないまま、明日からはまた、何食わぬ顔でいつも通りの幼馴染に戻ればいい。
(言ってやる。――騙されろ、皐月)
碧は緊張を逃すように、鼻から吸った空気をゆっくりと細く吐き出した。
まっすぐに自分を捉える皐月の瞳を、見つめ返す。
しかし、肝心の言葉が出てこない。
「私は……」
ずっと、心の最奥にしまい込んできた感情。
いざその気持ちを言葉にするのは、碧が思っていたほど簡単なことではなかった。
(なんだこれ、……泣きそう)
胸がいっぱいになって、喉の奥がぎゅっと苦しくなる。
「……碧?」
「……ちょっと、待って」
怪訝そうに名前を呼ぶ彼を、片手をかざして制した。
(落ち着け。こんな動揺、変に思われるに決まってる)
嘘だと信じてもらえなくなってしまう、と、そこで碧はハッとした。
(あ、いやでも、そうか)
ゲーム上、嘘を見破られたら負けなのだ。
だったら、どれだけ本気に見えたって、皐月を騙せるなら何の問題もない。
(動揺も、高ぶった気持ちも全部全部乗せて)
「好き……」
(吐き出してしまえ)
「皐月が……好き」
零れ落ちた涙が一筋、頬を伝う。
(全部、演出だ)
頭ではそう言い聞かせるのに、胸の奥から本物の感情が溢れてくる。
(……今だけは、止めなくてもいいや)
――十分経過。制限時間まであと二十分。
皐月は碧を見つめたまま、微動だにしない。
そのまま、数十秒が過ぎた。
(……この沈黙はなに?)
好きだと告げた後、何も言わない彼に戸惑いが募る。
(……このまま、時間切れで終わる?)
お互い「嘘」をついたまま。
(引き分け?)
それとも皐月が勘違いして、今の言葉を嘘じゃないと思うだろうか。
(私の勝ち? それとも皐月は……、また別の嘘をつくわけ?)
碧が思考を巡らせていると、彼がポツリと呟いた。
「やっと……、言ってくれた」
「……え?」
「……碧」
皐月の表情が、ふっと柔らかく綻ぶ。
今にも泣き出しそうな、あまりにも愛おしそうな笑顔だった。
(なんでそんな顔して笑うの)
演技だと分かっているのに、嬉しくて心臓が高鳴る。
「もう一度好きだって、言って」
皐月の手が伸びてきて、言葉を催促するように頬を指先で優しく撫でた。
触れられた場所に、じんわりと熱が残る。
「……好き」
自分でも信じられないくらい、彼への気持ちが自然と口からこぼれた。
「……もう一度」
「……大好き」
「碧、結婚してくれる?」
「……うん」
「じゃあ、婚姻届書いて」
「……うん?」
(……さすがにそれは、嘘からはみ出るんじゃ)
皐月は碧の手を優しく掴むと、テーブルへと向かう。
椅子を引かれ、そこに座るよう促された。
碧が腰を下ろしたのを確認すると、皐月はいつの間にかテーブルの上に用意されていた封筒から、白い紙を取り出す。
三つ折りのそれを広げ、碧の前に置いた。
そこに並ぶ無数の空欄と、一番上の『婚姻届』という文字が見えた瞬間、息が止まった。
(……え、ほんとに? 書くの……?)