ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『端的に言って恋だった』水守恵蓮/著
「わざわざ取り寄せたんですか」
「え?」
「これ。東京では買えませんから」
「は、はい」
私は残りの焼菓子を食べ終えてから、スッと背筋を伸ばした。
「柏木さんの好物だと知りまして」
「……添島さん、いつから私をそう呼ぶようになったんでしたっけ」
「呼ぶ? あ……もしかして嫌でしたか?本名で呼ばれるの」
突如質問され、私はちょっと怯んだけれど、彼は静かに首を横に振った。
「それが私の名前ですから、嫌もなにも。仕事関係では、久しく呼ばれていないだけで」
確かに……どんなに有名な歌舞伎役者でも、その本名となるとまったく聞き覚えがなかったりする。
今、彼の横顔はどこかすっきりして見えるものの、その心中を測ることはできない。
私は柏木さんがなにか言うのを待っていたけれど、彼は手を伸ばして焼菓子をもうひとつ摘まむと、無言でそれを口に運んだ。
「あの……私」
目を閉じ、ゆっくりと味わう彼に、私は思いきって切り出した。
「今までほんとに、歌舞伎には疎かったんですけど……」
「知ってます。今さらなにか?」
「う……」
いつもの調子でスパッと言いきられて、思わず口ごもる。
「そんな私が歌舞伎特集の代役を引き受けるなんて軽率だったかな……と反省してます」
言葉を選び、やや気落ちして続けた。
「……ふっ。反省、ですか」
柏木さんは目を伏せ、優雅にお茶を啜った。
「別に反省する必要ないでしょう。歌舞伎一門の生まれでもない限り、誰もが最初はわかりません。そのまま一生、この世界に触れずに過ごす人の方が多いかもしれない」
湯呑みを茶托に戻し、ハッと短い息を吐く。
そして。
「それに、私はあなたのその無知な部分、むしろ武器になると思ってました」
「武器……?」
いつになく饒舌に柏木さんが発した言葉を反芻した後、私は少しの間逡巡して、静かにかぶりを振った。
「柏木さんの言うそれが先入観なく……という意味で正しければ、やっぱり私は間違っていた気がします」
「……と言うと?」