ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『端的に言って恋だった』水守恵蓮/著
今は落ち着いているとはいえ、優花は安静が必要だから入院しているのだ。


「…………」


私はむっつりと唇を結び、ベッドサイドのパイプ椅子に腰掛けた。

すると。


「えーと……栞。もしかしなくても、藤川(ふじかわ)園十郎(えんじゅうろう)丈の取材あまり順調に進んでない?」


優花は話の続きを促してくれたので、大きく首を縦に二回振って見せる。

私と優花は、中堅出版社の編集部でライターの仕事をしている。

私の本来の担当は、雑誌のグルメ特集。

趣味と実益を兼ねているからか、今のところ仕事は楽しい。一応、読者の反響も上々と自負している。

それが突然、優花が企画した歌舞伎特集の記事を書くことになった。

私にはまるで無縁の世界だし、ドラマやバラエティーでも見かける有名どころの役者しか知らない。

もちろん演目はわからないし、歌舞伎界特有のしきたりにも疎いけど、他のみんなが手いっぱいで引き受けざるを得なかった。

私が取材することになったのは、歌舞伎界でも名門中の名門・鳴子屋(なるこや)の次男坊、藤川園十郎。本名、柏木(かしわぎ)志信(しのぶ)。

藤川園十郎とは、江戸時代に人気を博した、鳴子屋が誇る伝説の女形役者だ。

芸の伝承を重んじる歌舞伎界では、偉大な先祖の名をその一門の子孫が代々襲名していく。こうして後世まで遺される名前を名跡というそうだ。一門のブランド、家宝のようなものらしい。

鳴子屋の大名跡を、彼は昨年三十二歳の若さで八代目を襲名している。つまり、鳴子屋の看板役者ということになる。

歌舞伎なんて、私はこれまで二十七年の人生で一度も観たことがないけど、それでも一応顔と名前は知っていた……それほどの有名人なのは確か。

といっても、私が見知っているのは素顔の方だった。

この仕事に入る前に初めて見た舞台写真の彼は、本物の女の私でも思わず息をのむほど美しかった。可愛らしい役どころの写真だったのもあり、『親しみやすそう』という先入観を持ち、楽に取材できそうだと思ったことは否めない。

それが……実際に会ってみると、まったく真逆の人だったのだ。


「順調だったら、壁ドンで脅されたりしないでしょ⁉出会ってほんの一週間、しかもただの仕事相手だよ?」


勢いよく捲し立てたせいで、その時のことを思い出してしまった。

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