ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『端的に言って恋だった』水守恵蓮/著
「やっぱり綺麗だな……」
思わず心の声が漏れてしまい、私は慌てて両手で口を押さえた。
けれど、時すでに遅し。
かなり小さな呟きだったと思うのに、彼の耳に届いてしまったようだ。
柏木さんは化粧道具の刷毛を置くと、ちらりとこちらに流し目を送った。
もうすでに役に入り込んでいるような、洗練された優雅な所作。
妖艶な視線には、女の私でもドキッとしてしまう。
「……ふっ。それはどうも」
彼はわずかに口端を上げただけで、ふいと前に向き直った。
初対面で機嫌を損ねて以来、『綺麗』は禁句と心得ていた。
だから彼に対して言わないよう、ずっと気遣ってきたのに。
「え……」
紅を挿した唇が紡いだのは嫌みではなく、拍子抜けしてしまった。
きょとんとしていると、柏木さんは口元に手を添え、クックッと笑い出す。
「綺麗と思わせることができなければ、女形失格ですから」
「あ……そうですよね」
そうか、『藤川園十郎』には褒め言葉……ということなのか。
ひとり納得して頷く私に構わず、柏木さんはスッと立ち上がった。
私の前を通り過ぎ、続き間の方へと進んでいく。
「浩二、いるか? 頼む」
わずかに声を張って呼ぶと、すぐに通路の方から「はい、ただいま!」と返事があった。
パタパタと足音が近づいてきて、柏木さんのお弟子さんで付き人でもある、浴衣姿の二十代前半くらいの男性が現れた。
「園十郎さん、お待たせしました」
そう断る浩二さんと連れ立って、柏木さんは続き間に入っていく。
さすがに着替えを最初から見るわけにはいかない。
私はふたりのやり取りから着替えの進捗を想像しつつ、頃合いを見て続き間を覗き込んだ。
そして、思わずほおと声を漏らす。
支度を終え、艶やかな紅色の振り袖を纏った柏木さんが、そこに立っていた。
十月公演で柏木さんが出演するのは、『京鹿子娘道成寺』という舞踊劇だ。
白拍子・花子の恋心の移り変わりを綴った物語で、女形舞踊の最高峰と呼ばれるほど人気が高い演目なんだとか。