ベリーズカフェ15周年記念オリジナル短編『端的に言って恋だった』水守恵蓮/著
藤川園十郎が演じるとあって、十月公演のチケットは即日完売だったと聞いている。


「あの……今月の演目って、女形役者にとっても憧れの演目なんですよね」


浩二さんにかつらをつけてもらう柏木さんに、私は少々遠慮がちに声をかけた。

彼はこちらを見遣ることなく、ふっと短い吐息で反応する。


「添島さんも、演目について勉強できるくらいには、余裕が出てきましたか」

「う……まあ、もう中日を迎えますし、そのくらいのことは」


相変わらずの嫌みで返され、私は一瞬言葉に詰まった。

それでも気を取り直して、グッと胸を張る。


「可憐な恋心から、最後は怨念にまで移り変わるので、それぞれ別の女形が演じることもあるんですよね? でも今公演で、柏木さんは一人ですべて演じ切る……それって、とても難しいんじゃ?」

「まあそうでしょうね」


もっともらしく続けた質問には、どこか他人事みたいに返された。

私が答えの続きを待って黙っていると、かつらをつけ終え、すっかり美しい白拍子の姿になった柏木さんが、チラリと妖艶な流し目を向けてくる。


「歌舞伎役者である以上、簡単な演目などありません」


ピシャリと言い切られて、私は返す言葉に窮した。

それ以上の質問はないと判断したのか、柏木さんは私に背を向け、続き間のドアから通路へと出ていく。

それを見送っていた浩二さんが、私に向けて苦笑いした。


「すみませんね。ほんと、ぶっきらぼうな人で」

「い、いえ、そんな……」


もちろん、『そんなことない』とは言えない。

声を尻すぼみにする私に、浩二さんは眉尻を下げる。


「ところで……来週の休演日は、添島さんどうされるんですか?」

「休演日ですか?えーと……オフィスに行くと思います。取材メモ整理する時間が取れなくて……いざ原稿執筆って時にとっちらかっちゃいそうなので」


私が頭を掻いてはは、と笑うと、彼は顎を撫でて思案顔になった。


「なるほど、そうか……いい機会かと思ったんですが」

「え?」

「いえ……一度本邸の稽古場に来てみた方がいいんじゃないかな、と」

「稽古場……ですか」


彼の提案に、私は首を捻る。


「でも休演日ですし、柏木さんもお休されるんじゃ……」

「稽古に休みはありません。なんなら、舞台が終わってからも、園十郎さんは稽古を欠かしません」

「え……」

「まあ、お時間の都合がつくようであれば。難しい演目を簡単そうに演じる園十郎さんのすごさ、わかると思いますよ」


浩二さんはまるで自分のことのように誇らしげに言うと、軽い会釈をして、柏木さんを追って続き間から出ていった。


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