恋の模範解答を教えて~年下君の甘い執着に落とされまして~【完結】
「親のコネという贔屓目は一切なしです。周りには最後まで俺の素性を伏せてください」
帆高の言葉を聞き終えた正樹は、満足そうに低く笑い、力強く頷いた。
「いいだろう。お前のその覚悟、試させてもらう」

 こうして始まった清掃員としての数ヶ月間。
それは、想像以上に人間の醜悪な本性が露骨に浮き彫りになる時間だった。

 灰色の作業服を着て廊下を拭いているだけで、挨拶を平然と無視する社員、あからさまに軽蔑の視線を向けてくる役員、果てはゴミの分別ミスを年配の清掃員に罵声とともに押しつける男まで、無数の人間の裏側を目にしてきた。
 肩書や服装ひとつで態度を手のひら返しにする人間ばかりの世界に、酷く冷めた心地を感じていた。

――だが、彼女だけは違った。

「おはようございます!いつもオフィスを綺麗にしてくださって、本当にありがとうございます」

水瀬和香。
彼女は、作業服姿の俺にも、他の年配の清掃員たちにも、変わらない眩しい笑顔で毎朝丁寧に頭を下げていた。誰に対しても分け隔てなく、心からの感謝を言葉にして届けていた。

 ある日、高齢の清掃員の手が震え、廊下に大量の書類ゴミをぶちまけてしまったことがあった。慌てふためくおばさんを横目に、通りかかる社員たちは「チッ」と嫌そうに舌打ちをして避けていく。

 その時、遠くから走ってきたのが和香だった。

「大丈夫ですか。怪我はありませんか?」

 彼女は上質なオフィスカジュアルの服が汚れるのも構わず、迷わず冷たい床に膝をついた。パニックになるおばさんの背中を優しくさすりながら、散らばった用紙を笑顔で手際よく拾い集めていく。
後からこっそり聞いた話では、シュレッダーゴミの分別ミスで清掃員が責められないよう、彼女が後始末のフォローまで陰で引き受けていたらしい。
損得勘定も、自己保身もない。
 困っている人がいれば、自分の身を削ってでも自然と手を差し伸べる、愚かなほどに真っ直ぐで優しい人。
  計算と策略、冷徹な損得が渦巻く世界で生きてきた俺の目に、彼女の存在はあまりにも眩しく、優しく胸を打ち刺した。

――俺はこの人に恋をしたのだ。

そう自覚するのに時間はかからなかった。
その後、帆高は予定通り渡米し、2年間という過密で過酷な経営修行を耐え抜いた。
 睡眠時間を削り、血の滲むような努力を続けられたのは、すべて彼女のいる本社へ戻るためだった。
 ただの憧れで終わらせるつもりはない。


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