想定外につき、対処不要
 漸く夕方になり、彼女が監督に促され、こちらのほうに向かってきた。俺はパーカーを手に、声を掛けた。

「お疲れ様です。こちらをどうぞ……」

「……いいの?」そう言う彼女の視線は、どこか頼りなく見えた。

「勿論です。外が冷えてきますので、袖を通したほうが良いかと」俺が言うと、彼女は、「ありがと」と呟き、パーカーに袖を通した後で、黙り込んだ。

 そこで俺は彼女の顔色を窺ったが、俯いた状態で、余り見ることが出来ず、「行きましょう」とだけ声を掛けた。

 現場から駐車場まで向かう間も、車を走らせてる間も、彼女は一言も話さなかった。フードを被ったままで、その表情すら何も捉える事が出来なかった。

 俺は声を掛けることはせず、そのまま車を走らせて、彼女の家の正面玄関前で、静かに車を停めた。そして、バックミラーを覗き込んだ時だった。

「ねぇ……、少し、手、貸して貰える……?」か細い声が聞こえて、俺は思わず戸惑ったが、直ぐに「承知しました」と言って、運転席から抜け出した。そこから後部座席に行き、ドアを開けて、彼女が出てくるのを凝視した。

 ドアを閉めてから、彼女の手を取ろうとしたが、俺は思い直して、背中に優しく手を添えた。

「済みません、こちらのほうが何かあったとき支えられるので……」そう言いながら、彼女の様子を窺い、正面玄関に向かうと同時に、細い指がカードキーを差し出してきた。

 俺はそれを受け取り、玄関内にあるドアのロックを解除した。ドアが開くと、俺は再び彼女を窺いながら、足元を確かめつつ、歩いて行った。エレベーターに乗り込んでから、彼女は一番上の階のボタンを押した。

 初めて来る場所の緊張と、彼女に対しての不安が混ざり、何をすれば最良なのか見つけられないままだった。

 そして、一番上の階でドアが開くと、そこには静寂が漂っていた。思わず足を止めた俺の手から彼女はキーを取り、部屋に向かって行った。後を追うように足を進めると、彼女はドアを開いて促した。

「私はここで失礼致します」俺は直ぐに断った。だが、彼女と目が合い、敢えなく足を止めた。

 これ以上は立ち入ってはいけないと考えを巡らせたところで、彼女の声が聞こえた。

「どこかで倒れちゃうかも……」

 それはダメだ。絶対見逃さない。そう思っていると、細い指が俺のスーツの袖先を摘んだ。

「眠るまで部屋に居て」その声に、ふと視線を移すと、彼女が見上げていた。

 可愛すぎる。いや、待て。何も考えるな。彼女の体調を見守るだけだ。そう心に留めて、俺は彼女に引かれながら、部屋に向かって行った。
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