想定外につき、対処不要
 佐伯は空欄を埋めながら、口元を緩めたあとで、軽く視線を上げると、直ぐに戻して口を開いた。

「女優と結婚か……騒がれるだろうな……」

「式は挙げません。彼女は派手な事は好みませんので」

 俺は毅然と言ったが、佐伯は「ふーん……」と言って、空欄を埋めてから、万年筆をポケットに入れていた。

「ありがとうございます」俺は余り抑揚を付けずに言い、紙を手にしてから、鞄の中に丁寧に仕舞った。

 俺がふと視線を向けたところで目が合い、佐伯は煙草の箱に手を掛けたまま言った。

「どういたしまして」その口調は、こちらを真似ていた。

 そこで互いに視線を逸らし、再び目が合うと、佐伯は口の端を上げていて、俺も同じ顔をしているような気がし、直ぐに戻した。

「社長が、たまには顔を出せ、と仰っておりました」

 そう口にしたとき、店員が食事を運んできて、目の前には綺麗な料理が並んだ。

 すると、佐伯は硝子製の徳利を手にし、こちらを顎で促した。俺はそれに応えるように猪口を手にし、軽く差し出すと、佐伯は言った。

「近いうちに行くつもりだ」

「貴方にしては珍しく行動が遅いですね」

 俺は何食わぬ顔で言い、箸を手にして、食事を口に運んだ。

「うるせぇな、俺も忙しいのでございます」

 佐伯は言いながら、少し乱暴に箸を持ち、こちらを軽く見たあとで、食事を口にした。

「それを言うなら、『多忙を極めております』です」

「お前な……、左様で御座いますか」眉をひそめながら何かを言い掛け、目を据えて、思い直したように返してきた。

 思わず俺は笑いそうになったが、素知らぬ顔で食事を進めていった。佐伯も一度こちらを見ただけで、同じように箸を進めていた。

 食事が終わるまで、互いに会話はせず、テーブルの上が片付いたところで、酒だけが残っていた。

 酒を注ぎ合うこともなく、それぞれ少しずつ口にしながら、徐々に互いの口元が緩んでいた。

 やがて、二つの猪口が空になる頃に、佐伯がおもむろに口を開いた。

「次は木崎が奢れよ、俺は必ず折り返し、致しますので」

 敬語だけを強めた口調に、俺は直ぐに返した。

「では、4年後に」

「オリンピックか」

 負けじと返してきた言葉に、俺は少し驚いて言った。

「貴方がそんなことを言うなんて、珍しいですね」

「……嫁の影響だ」佐伯はそう言って、苦笑いをしたが、どこか照れくさそうに見えた。

「そうですか。ご馳走様でした」

 俺はそう言ったあとで口元が緩んだが、席を立って、踵を返すと、佐伯が「またな」と声を掛けてきた。

 直ぐに軽く頷いてから、俺は「失礼致します」とだけ言って、その場を後にした。
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