ソルが降る日
 翌日の現場はいつもより人の密度が高かった。ドラマ『JOURNEY』のメインビジュアル撮影で、スタジオにはスタッフや広報関係者が入り、活気と喧騒が入り混じっていた。

 ソルはセットの端でジレの裾を整え、自分の出番を待っていた。視線の先に、ミリと映像制作のカン・ジフンがいる。手をあげると、その袖口からアンティークの腕時計が見えた。彼は広告やビジュアル案件を数多く手がけるフリーランスで、業界では名の知られた家に生まれた男だ。

「ミリさん、次の位置さ、レンズに機材が入りそうなんだけど、少し下げられる?」

 ジフンが屈託なく白い歯を見せ、歩み寄った。距離を意識しない、現場に慣れた人間の軽い足取り。

「あ、すみません。ギリギリですね。調整します」

 ミリが顔を向けた。

「やっぱりいいよ。この三脚の脚、俺が調整しとくよ。ミリさんはモニターの方に集中してて」

 ジフンは笑いながら、カシミヤのワークシャツの袖をまくり、機材のロックを外すためにミリの足元へ屈み込む。二人の距離が静かに縮まった。その瞬間、ソルの右足が半歩、前へ出た。床を捉える感触が慣れているはずの位置と、数センチずれる。理由を確認する前に身体が先に動いていた。

「……今ので大丈夫です、ジフンさん」

 ミリの柔らかな声が聞こえた。足を戻せない。元の立ち位置に戻れという内部の指示が流れる。それを受信しながら、わずかなずれを、そのまま保持した。

 ジフンはすでに次の段取りへ視線を移し、ミリも担当の場所に戻った。ソルは立つ位置を微調整し、動線が交差しない角度に肩の向きを変えた。撮影再開の声で、初めて固く結んでいた手に気づいた。表情を整え前へ。呼吸が一瞬だけ浅くなるが、身体はいつも通りだ。それでも聴覚だけは、他の気配を追ったままだった。
< 10 / 30 >

この作品をシェア

pagetop