今だけの婚約者~身代わりのはずが、冷たい旦那様にお腹の子どもごと愛されていました~
 蓮さんのマンションに帰ってきたが、ここが自分の家だという自覚はまだまったくない。

 簡単に食事を済ませてひと息つき、キッチン周りを片づける。今のところ、蓮さんのためにできることはあまり見つけられていない。掃除をして、お風呂の用意をしておくくらいだ。

 洗濯物は、まとめて業者に出しているようだ。そもそも掃除だって週に数回ハウスキーパーを依頼しており、散らかっているところはまったくない。

「ほかにできること……」

 室内を見回すが、私が必要とされることが見つからない。
 とりあえず寝支度を整えて、読書をしながら過ごす。

 すっかり集中していたところ、彼の帰宅する音が聞こえて慌てて立ち上がった。

「おかえりなさい」

 素早く玄関に向かい、目の合った蓮さんに声をかける。

 彼は眉間にしわを寄せ、鋭い視線で私を見てきた。
 顔を見せてしまったが、迷惑だっただろうか。
 それを咎められるかと思いきや、彼の反応は違ったものだった。

「こんな時間まで起きていたのか?」

 今は何時だっただろうか。確かめるすべはなく、とりあえず笑みを浮かべる。

「本を読んでいたので」

 嘘は言っていないのに、なぜか後ろめたい。

「それならいいが、俺の帰宅を待つ必要はない」

「すみません。お疲れさまでした」

 ぴしゃりと言われて、めげそうになる。
 なんとかそれだけ伝えて、彼の顔をまともに見られないまま自室に引き返した。

 扉がパタリと閉じると同時に、床に座り込む。

 もうすぐ日付が変わる時刻だ。こんな時間に疲れて帰宅した蓮さんに、嫌な思いをさせてしまったと気分が沈む。

「あれ? でも……」

 そういえば彼は、決して迷惑とは言わなかった。
 遅くまで起きていた私を気にかけ、さらにその理由が読書だと聞いて『それならいいが』と安堵するような反応を見せていた。

「もしかして、迷惑じゃなくて心配をかけてしまった?」

 彼の言葉尻を、自分の都合のいいように捉えている自覚はある。

「遅くまで働いて、疲れているのは彼の方よ」

 労わられるべきなのは、蓮さんだ。
 冷たい物言いにくじけそうになるが、さっきのみじかいやりとりでそれが彼のすべてじゃないと感じた。

「ここにいられる間は、蓮さんの役に立ちたい」

 あらためてそう誓ったときには、沈んだ気持ちは霧散していた。



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