今だけの婚約者~身代わりのはずが、冷たい旦那様にお腹の子どもごと愛されていました~
「うーん、できているかなあ」

 大丈夫そうだけど、と思いながら手もとに集中する。

「ここ、もう少し上げて」

「え?」

 背後から突然聞こえた声に、ビクリと肩が跳ねる。
 恐る恐る振り返った。

「……蓮さん」

 チラッと私に視線を合わせた彼は、それからすぐに帯に目をやる。

「こうするといい」

 どうして?と戸惑いながら、とにかく姿見に向き直る。
 なんだか余計なことを言ってはいけない雰囲気で、困惑しつつ言われた通りにする。

「それでいい」

 これまでにない近い距離にドキリとする私とは対照的に、彼はいたっていつも通りで淡々としている。

 ぎくしゃくした手つきで先に進めると、蓮さんがわずかにずれていた位置を直してくれる。彼に手伝ってもらいながら、なんとか結び終えることができた。

「完成だ」

 一歩離れた蓮さんに、姿見で見るように促される。
 歪んだところはなく、教わった通りに結べていた。

 あらためて、背後の彼に向き直る。

「ありがとうございます」

 まだ緊張はしているものの、上手くできたことがうれしくて頬が緩む。
 それから彼の視線の動きを追って時計を見ると、もう十二時を越えていた。

「真面目なのもいいが、もうこんな時間だ。あまり無理をするな」

「え、あっ、はい」

 温度の感じられない声音だけれども、発する言葉はやはり私を気遣ってくれている。

「ありがとうございます」

 すでに私に背を向けていた彼にそう言うと、蓮さんはこちらを見ないまま小さくうなずいた。

「あっ、それと、おかえりなさい」

 そうだと我に返り、慌てて付け加えた。

「ああ……ただいま」

 いつもは『ああ』とだけ返ってくるところだが、今夜『ただいま』と言ってくれた。

 単なる気まぐれかもしれだろうか。もしくは、なにも意識せずに発した言葉だったのかもしれない。
 理由はどうであれ、いつもと違うひと言をもらえて胸の奥がじんわりと疼く。

 すでに蓮さんの姿は見えないが、彼の向かった方へ視線を向ける。
 いずれ蓮さんの隣に立つのは舞だとわかっている。
 それでも小さな変化に胸が躍り、もっとよい関係をつくっていいきたいと望んでしまう。
 ベッドに入ってからもそんなことが頭の中を占拠して、なかなか眠れないでいた。






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