今だけの婚約者~身代わりのはずが、冷たい旦那様にお腹の子どもごと愛されていました~
 一月の終わりから始まった蓮さんとの同居生活は、すでに五カ月が経っている。梅雨はもうすぐ明けそうだが、蒸し暑さに食欲も減退しがちになっていた。

「舞さん。急に熱くなってきたし、体調を崩してはいけないから無理はしないでちょうだいね」

 レッスンを終えて帰宅しようとしていたところ、お義母様に声をかけられた。

「はい」

「やっぱり、顔色が悪くないかしら? うちで少し休んでいってもいいのよ」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。明日もよろしくお願いします」

 義実家の玄関を出ると、むわっとした不快な熱気に包まれる。夕方になったとはいえ、蒸し暑さはちっとも緩まない。
くらりと体が傾きかけたが、足に力を入れてなんとか踏みとどまる。

 少しして小さく息を吐き出し、覚悟を決めるような気持ちで足を踏み出した。
 この天候に、体は参っている。ひとりで夕飯を食べる日は、手軽な冷たい麺類で済ませてばかりいた。

「ちゃんとしないと」

 バッグのストラップをぎゅっと握った。

 帰宅すると、すぐに夕食の準備を始める。
 
 あらかた作り終えたところで、今日の復習をしようとリビングのテーブルにノートを広げた。

「うーん、集中できない」

 両腕を、ぐっと頭上に伸ばす。
 それから、テーブルに置いたスマホに目を向けた。

 昨夜は、舞からメッセージが入っていた。

【実家に戻った後は、なにをするの?】

 私の職場に勝手に退職を届けたのは舞だというのに、彼女は自分が悪いなんて少しも思っていない。
 のんきに尋ねてきた舞に、無性に腹が立つ。同時に、そこまでされてもきちんと言い返せず、こうして蓮さんを騙すようにマンションへ来てしまった自分が許せない。

 彼女の指摘は、私があまり考えたくないと思っていたことだ。
 父は藤沢屋で雇ってくれるかもしれないが、実家にいる限り蓮さんと舞の話が嫌でも耳に入ってきてしまう。彼には幸せになってほしいと思うのは本当だけれど、ほかの女性に優しく接する姿を見て、耐える自信がない。

 それに、実家は私にとって息が詰まる場所だ。舞は結婚して出ていくのだし、私があの家にいる理由はなくなる。

 今の生活が終わったら、どこか遠くへ行きたい。なにも見聞きせずにいられる所に。

 舞からの連絡で心を乱され、昨夜はなかなか寝付けないでいた。今はまだ十九時をすぎたところだというのに、眠くて頭が働かない。

 少しだけ……と瞼を閉じると、すっと意識が遠のいていった。





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