今だけの婚約者~身代わりのはずが、冷たい旦那様にお腹の子どもごと愛されていました~
 つかつかと、舞が私の方へ向かってくる。目にした光景が衝撃的すぎて体が動いてくれず、その場でとどまり続ける。

「久しぶりね、唯」

 私の目の前で足を止めた舞が、にこりと微笑む。
 不貞の現場を目撃されたというのに、彼女に悪びれる様子はまったくない。

「そうだ唯、お茶でもしない? あいつ、仕事だって帰っちゃったから暇なのよね。お小遣いをもらったし、今日は私がおごっちゃう」

 私の肩を軽く小突いた舞は、「行くわよ」と歩きだしてしまう。有無を言わせない彼女の態度にため息を吐き、渋々後に続いて近くのカフェに落ち着いた。

「……舞、さっきの――」

「やあね、唯。あの男は単なるお友達よ」

「お友達って……ホテルから出てきたじゃない」

「それがなに?」

 あっけらかんとした調子で返す舞に、絶句する。

 明らかに関係を持っているだろうに、〝お友達〟なんて呼び方をしている。
 付き合いをしている相手、というわけではないのだろう。この様子だと、舞にはそういう相手が複数いるのかもしれない。

「べつにいいじゃない。相変わらず、唯は堅いんだから」

「でも、あなたには婚約者がいるのよ。いくら今は私が花嫁修業をしているからって、もう数カ月もしたら結婚するんだよ」

「それがなに?」

 鬱陶しそうに舞が言う。

「私はまだ独身なんだし、咎められるなんておかしいわ」

 そう言ったきり、舞は運ばれて来たケーキを食べ始めた。

「蓮さんは」

 チラッと私に向けられた視線は、すぐに再び手もとに戻る。まったく興味ないといった舞の態度に、苛立ちが募った。

「会社のために、休む間もないほど働いているの」

「時間の使い方が、下手なんじゃないの?」

 小ばかにしたような言い方をされて、思わずむきになってしまう。

「そうじゃないわ。藤沢屋と提携することで、やらなければいけないことが増えているの」

「ふうん」

「万が一、私たちの入れ替わりがバレたり、今日の話が高宮家に伝わったりしたら、どうなるか考えてみて。この縁談には、藤沢屋の社員の命運がかかっているのよ」

 私が必死に訴える間、彼女はフォークでケーキを突いている。
 なにを言っても、舞にはまったく響いていない。聞いているのかも怪しい。
< 84 / 111 >

この作品をシェア

pagetop