バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される
第5話:あわい
十八歳の鷹木慧は、階段の隅に座り、背を丸めていた。
三年連続での出場となった、高校全国弁論大会。
一年生の時も、二年生の時も最優秀賞を掴み取った。周囲からの期待は膨れ上がり、誰もが三冠の達成を当然のように口にする。
だが、どれほど練習を積もうとも積み重なった重圧は容赦なく全身にのしかかった。呼吸が浅い。
「……はぁ」
喧騒から逃れるように、廊下の隅にある薄暗い非常階段に座り込む。
手元にある原稿は、もう何度も何度も頭の中でなぞり、完璧に暗記しているはずだ。
だが、もし言葉がつかえてしまったら?
もし頭の中が真っ白になったら?
そんな不安が、泥のように足元から這い上がってくる。
指先が、自分の意志に反して小さく震えていた。
こんなの全然、男らしくない。
わかっていても、目にはうっすらと涙が浮かんだ。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきた柔らかな声に、思わず顔を上げる。
視線の先には、見たことのない制服を着た女の子がいる。しゃがみ込み、こちらを真っ直ぐに覗き込んでいた。
澄んだ、大きな瞳がすぐ近くにある。
「あ、すみません、大丈夫です。少し緊張してしまって」
気づかれないよう、ささっと目元を拭く。
自分よりもずっと小さな身体の彼女に対して、情けない姿を見せてしまった恥ずかしさから、必死に弁解の言葉を口にした。
すると、女の子は小さく笑い、抱えていたビニール袋の中からバナナを取り出して差し出してきた。
「もしよかったら、これどうぞ」
手渡された果実を、ぽかんと見つめることしかできない。
「バナナって、緊張を和らげるのに良いんですって。セロトニン? の材料になるとか……」
どこかぽやぽやとした、おっとりとした口調で説明を続けてくれる。
知識としては、当然知っていた。セロトニンの生成を促すトリプトファンやビタミンが豊富に含まれている。
だが、このような大舞台の直前にわざわざ食べようとは、考えつきもしなかった。
「私、初めて参加するんです。すごく緊張してて、そうしたら友達が『バナナ食べると良いよ』って差し入れてくれて」
彼女は皮を剥きながら、嬉しそうに話す。その屈託のない空気につられるようにして、鷹木も、果肉を口に運ぶ。
口の中に広がる甘さは、強張っていた喉の筋肉をじんわりと緩めていく。
冷たい非常階段に座り、二人で並んで食べた。
「ごちそうさまでした。……あ、お金」
「いいですよ、私も貰いものだし」
「そういうわけには……」
制服のポケットから財布を取り出そうとしたが、廊下の奥から、彼女を呼ぶ高い声が響く。
「詩織ー!」
彼女は慌てて立ち上がる。
「あ、ごめんなさい行かなきゃ。じゃあ、お互いに頑張りましょうね」
女の子は立ち上がると、ひらひらと手を振り、そのまま廊下の向こうへ走り去っていった。