バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される

「朝比奈さん、お兄さんが面会にいらしてるわよ」

 定時を迎え、ロッカー室で帰宅の準備をしていたところ、チーフがドアから顔を覗かせて声をかけてきた。

「え、兄ですか?」

 詩織の口から、素っ頓狂な声が出た。
 兄は大阪の会社で働いている。東京へ出張や用事で来るときに会うこともあるが、必ず事前に連絡をくれていた。
 何の音沙汰もなく急に職場に現れるなど、今までに一度もない。

「応接室にお通ししておいたけど……」

 チーフはなぜか、歯切れの悪い様子で言い淀んでいる。

「すみません、急に職場に来ちゃうなんて」
「いえ、来客自体は構わないんだけど……お兄さん、大丈夫?」

 質問の意図が分からない。
 詩織は小首を傾げた。

「なんだか、すごくやつれているというか、生気がないというか……お声がけしても、ちょっと雰囲気が怖くて」

 いつも朗らかで太陽のように笑っている兄の姿からは、到底結びつかない感想だ。何かあったのだろうか?
 詩織の胸に、正体の分からない不穏なざわめきが広がる。

 急ぎ足で、応接室へと向かった。

 ドアは、わずかに数センチほど開いている。隙間から室内の様子を窺えた。
 応接室の革張りのソファーに、一人の男性が座っているのが見える。

 男は、左の太腿の上に右足を高く乗せ、背もたれに深く腰掛け、横柄な態度でふんぞり返っていた。

ーー貴大だ。

 背筋が凍りつく。激しい寒気が全身を駆け抜けた。血の気が引き、足の指先から感覚がなくなっていく。

 兄ではない。
 他人を見下すような、あの座り方をするのは貴大だ。

 詩織は呼吸を殺して中の様子を見た。服にはひどくシワが寄り、髪も乱れている。だが、間違いなく成瀬貴大だった。

 なぜ、ここへやって来たのか。
 なぜ、兄だと偽ってまで……。

「何で……どうして……」
< 28 / 71 >

この作品をシェア

pagetop