バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される
第10話:恐怖
『そう、様子が変だと思ってたのよ。わかったわ。私の勘違いで、すでに帰っていたと伝えるから気にせず帰りなさい』
電話口から聞こえるチーフの毅然とした声が、どこか遠くの出来事のように耳の奥に響く。
冷たい水の中に深く沈んでしまったかのように、詩織の頭の中には酷い靄がかかっていた。
手元で握りしめたスマートフォンが、掌の汗で滑りそうになる。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
かろうじてそれだけを言葉にして、詩織は通話を切った。
タクシーの硬いシートに深く身を沈める。バクバクとした激しい動悸は一向に収まる気配がない。
窓の外を流れていく夜の街並みが、ひどく歪んで見えた。
応接室のわずかなドアの隙間。
そこから見えた、傲慢に組まれた足の形で貴大だと気づいた瞬間、詩織は走り出した。
夢中で施設の裏口から外へと走り、大通りで掴まえたタクシーに飛び込んだ。
もし、彼に気付かず扉を開けてしまっていたら……。
そう考えただけで、胃の奥からすっぱいものがせり上がる。
すでに婚姻関係の切れた貴大が、なぜ職場にやってきたのか。
分からない。
だが、どう考えても明るい話ではないだろう。
詩織は耐えるように、自分の両腕をきつく掴んで身体を丸めた。膝の上の指先が、小刻みに震える。
「あ、鷹木さんに連絡……」
カバンの中からスマートフォンを取り出しかけ、詩織は動きを止めた。
鷹木は今、福岡だ。それに今夜は接待だと言っていた。
彼の仕事の邪魔をするのは嫌だ。
じわりと視界が滲む。
涙がこぼれ落ちそうになるのを、詩織は唇を強く噛み締めて必死に堪えた。
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