バツイチ×未経験の私は、初恋の豪腕弁護士から極甘に溺愛される

「ああ?」
「私はもう、あなたと別れたんです。こんなことする義務は……」

 言い終わる前に、貴大の大きな手が詩織の顎を強い力で掴み上げた。
 骨が軋む。無理やり顔を上向かせられる。

「てめーのせいで貯金もすっからかんだ。母さんの金を切り崩して生活してんだよ。わかんねぇのか、この泥棒」
「うっ」

 顎を掴んだ手に、容赦のない力が込められていく。
 貴大の口から吐き出される、濁った息が顔にかかる。

「いいか、お前はここで家事と母さんの介護をしろ。得意だろ、介護は。俺の金を取ったんだ。それくらいしてもらわなきゃ割に合わないよな。ギブアンドテイクだ。底辺介護士のお前にもそれくらいわかるだろ」

 開ききった毛穴が見えるほどの至近距離まで顔を寄せ、貴大は言った。

「何かを得たら、何かを差し出さなきゃなんねーんだよ。ああ、心配すんな。仕事はやめていい。俺は優しい男だからな。家事に専念させてやる」

 貴大の言葉を聞いた瞬間、詩織の頭の中で何かが弾けた。


 狂っている。


 ニタニタと浮かべる、気味の悪い笑み。灰色に濁り切った貴大の目を至近距離で見つめながら、詩織は鷹木の事を思い出した。

 鷹木の、大きくて優しい手。
 自分を壊れ物のように、この上なく大切に扱ってくれた、彼の温もり。

 鷹木は詩織に対して、何ひとつ要求しない。
 何かを渡したからと言って、代わりに何かを差し出せなどと、一度も言わない。

 『見返りが欲しいわけじゃない』
 『安心して笑っていてくれるだけで良い』

 彼が真っ直ぐに伝えてくれた言葉が、詩織の耳の奥で、鼓膜を震わせるように力強く鳴った。
 恐怖で支配されていた詩織の身体の奥から、言葉にできない熱い感情がせり上がってくる。

「……っ!」

 詩織は涙を払い、貴大の目を真っ直ぐに睨みつけた。

「なんだ、その顔」

 貴大は不快そうに顔を歪めると、詩織の顎を持った手を放る。
 詩織はゴミの溜まった床の上へと倒れ込んだ。

「きゃ……っ!」

 打ちつけた膝も、床についた手も痛い。
 だが、詩織は折れなかった。
 乱れた髪も気にすることなく、決意のままに貴大の方を振り返る。詩織は生まれて初めて、地を這うような大声で叫んだ。

「もうあなたの言うことは聞かない! 私は、あなたのお世話係じゃない!」
「チッ……」

 貴大の顔から余裕の笑みが消え、その目が凶暴に据わった。
 彼は詩織を見下ろしながら、足を大きく振り上げた。床に倒れる詩織を目掛けて、容赦なく振り下ろされる。

 蹴られる。

 詩織は恐怖に目を閉じる。襲い来る痛みに備え、身体を丸く硬直させた。


ーーガンガンガン、ガンッ!!


 玄関の方から、これまでのものとは比較にならないほどの凄まじい音が轟いた。激しい音や揺れと共に、バタバタと、無数の荒々しい足音が廊下を駆けてくる。

「うわっ」

 貴大の声が聞こえる。
 何が起きたのか分からない。詩織は思わず目を開けた。

 目の前で足を上げていた貴大の身体が、背後から猛烈な力で一気に引き倒される。床をごろごろと転がって行った。

 埃が舞う薄暗いリビングの真ん中。

 荒い息を吐きながら、肩を大きく震わせた鷹木が、立っていた。
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