彼はアメとムチがうますぎる ~つめたい上司のあたたかい味噌汁~
 ……大皿には、濃いめの甘辛タレがふんだんに絡んだ生姜焼き。小鉢には、鮮やかな緑が映えるアボカドのナムル。そしてツヤツヤの白米に、魚住さんのこだわりと魂が注ぎ込まれた味噌汁……。

(理想的な定食だ……)

「玉木!」
「は、はい!?」

 手を合わせようとした矢先、唐突に名前を呼ばれて跳ね上がる。
 魚住さんは向かいの椅子に腰掛けると、私の目をまっすぐに見つめながら静かな声で口を開いた。

「今日はよくやった。金子のモチベーションを向上させ、戦力になるよう寄り添うことができたな」

 その言葉が耳に届いた瞬間、今日一日中ずっと胸を押し潰していたプレッシャーが一気に弾け飛び、肩の荷がふっと下りる感覚が全身を駆け抜けた。
 魚住さんの期待にほんの少しでも応えられたのだという実感が、大きな達成感となって満ちていく。

「ありがとうございます。魚住さんから、正当な指導というものを教わりました」
「……ふん。まあ、とりあえず食べるか」

 照れ隠しのように小さく鼻を鳴らした魚住さんに合わせて、お互いに箸を手にする。そのまま二人で声を揃えて「いただきます」と手を合わせた。

(まずは、味噌汁から……)

 お椀に口をつけ、ひと口啜る。すぐに、口の中を包み込むようなすっきりとした味わいが感じられた。角のある尖った辛さは一切なく、驚くほど柔らかで上品な飲み口だ。
 具材のキャベツと玉ねぎから出た優しい甘みが、絶妙なバランスで溶け合っている。

「ああ、やっぱり優しいな……染み渡ります……」
「そうだろ。北海道の辛口米味噌だが、無駄な塩気や角がない。すっきりとしていてバランスが取れているから、個人的にかなり気に入っている銘柄だ」

(魚住さん……この家にある味噌、なんだかんだ全部お気に入りなんじゃ……)

 ……なんて野暮なツッコミは心の中にそっとしまい込み、私は「本当に美味しいです」と笑って深く頷いた。
 一旦米を挟んでから、次にアボカドのナムルを口にする。

「うあ! 美味しい……とろける香ばしさって感じ……)

 これはお酒にも、米にも合う。ごま油のパンチとアボカドの旨味が口の中で溶けて、脳内が幸福感で一気に満たされた。
 このまま箸は止まらず、いよいよ本丸である主役へと、期待を込めて手を伸ばす。

「それでは、本日の主役をいただきます」

 タレがたっぷり染み込んだ豚肉と玉ねぎを、白米と一緒に口の中へ放り込む。豚バラの生姜焼き……家庭的なその味付けは、噛めば噛むほどに多幸感が全身を駆け巡る。
 甘みの引き立った玉ねぎのシャキシャキ感も堪らない。お米との相性は言わずもがなだ……。

(あー、今日の食卓も最高……本当に、一歩踏み出せてよかった……)

 それからはもう一心不乱に、テーブルに並んだ温かなご馳走に舌鼓を打った。
 香ばしくジューシーな生姜焼きは、いくら食べてもまったく食べ飽きることがない。食べ終わった後に、また同じ量を食べたくなるほどだ。
 濃厚なアボカドのナムルと、すっきり優しい北海道味噌の味噌汁も、完璧なペース配分で綺麗に平らげてしまった。

「あー、あっという間に食べ終わっちゃった……」

 すっかり空になった皿の上を見つめながら、私は今までの適当極まりない食生活を心から後悔した。もっと早くこういう温かくて美味しいものを食べていれば、毎日殺伐とすることなく、心に余裕を持って仕事に励むことができていたのかもしれない。

(でも……私にこんなちゃんとしたご飯なんか作れないし……やっぱり、魚住さんが隣に引っ越してきてくれたおかげなんだよね……)

「ん? どうした?」

 私と同じタイミングで綺麗に箸を置いた魚住さんが、コップの水をゴクリと飲み干してから、私の顔を不思議そうに覗き込んできた。

「あ、いや……本当に、美味しいご飯をありがとうございます!」

 お辞儀をしながら改めて心からの感謝を伝えると、魚住さんはいつもの隙のない顔をほんの少しだけ緩め、ふっと小さく鼻で笑ってみせた。
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