彼はアメとムチがうますぎる ~つめたい上司のあたたかい味噌汁~
(この人……誰?)
「は、はい……私が玉木です」
男は目にかかりそうな黒い前髪を人差し指でクイッと分け、「やはりか」と小さく呟いた。
ゆるいパーマがかかった黒髪も、その端正な顔立ちによく似合っている。
「俺は魚住蓮人。いきなりだが、明日からこの部署の課長になる」
その一言は、私だけでなく部署全員の視線を一瞬で集めた。
私たちが席を置く『営業サポート部』の島が、一気にザワザワと騒がしくなる。
(え、新上司? そんないきなり?)
私の頭に浮かんだ疑問が顔に出ていたのか、魚住と名乗るこのイケメンは小さな咳払いを一度すると、平然とした顔で説明を続けた。
「これまでの課長は先週、退職代行を使って辞職の旨を示した。みんなには内密だったようだが、このたび俺が正式にここを預かることになった」
(え……課長、辞めちゃったの!? しかも、退職代行を使ってって……あまりにも無責任だよ……)
確かに課長は、先週から会社に来ていなかった。部長からは身内の不幸って聞かされたけど……まさか裏でそんな修羅場が起きていたなんて。
でもまあ、あの課長ならやりかねない。何をするにも無気力で、最低限の仕事しかしない……お世辞にも頼れる上司とは言えなかった。
システムにちょっと強いってだけで、課長に収まっていたような人だ。
「俺はこれまで、大阪支店で営業をしていた。生まれはここ、東京。二十九歳だ。よろしく」
私に話しかけていたはずが、注目が集まっているのを都合よく利用して、魚住さんはそのまま全体への挨拶に切り替えた。
十人に満たない営業サポートの島から、パラパラと疎らな拍手が起こる。
(大阪支店の人だったんだ……そりゃあ顔を知らないわけだ)
そのとき、タイミングよく部長がデスクに戻ってきた。
「おお、魚住君。もう挨拶は済んだみたいだね」
「はい、成り行きで」
「そうかそうか。みんな、そういうことだからよろしくな!」
この部長も、明るい元気さだけが取り柄で、普段は数字の管理くらいしかしていない中年男性だ。前課長よりはマシだけど……仕事を部下に丸投げするだけで、正直敬意は持てない。
「玉木、お前が現状の業務内容を把握していると聞いた。間違いないか?」
「……え? ま、まあ」
「そうか。なら会議室へ来い。引き継ぎを頼む」
そんなの、部長がやってよ……という心の声は、口が引き裂けても言えなかった。
顔に出ないよう、無理に笑顔を作って「はい!」と返事をする。
(それにしても……本当に背が高いな……私よりも二十センチくらい上じゃない?)
女性の平均身長くらいの私。ということは、魚住さんは百八十センチ近くあるということになる。
隣を歩きながら、そんなくだらないことをぼんやりと考えていた。
「……さっそくだが、この部署の業務内容と、現在抱えている案件を教えてくれ」
幸いにも空いていた小会議室に入り、二者面談のようにデスクを挟んで向かい合う。ミーティングが始まると、魚住さんは素早くノートパソコンを開き、画面と私の顔を交互に見つめながら問いかけてきた。
その真剣な表情を目の当たりにしたら、嫌でもドキドキしてくる……。
「はい。私たちは営業サポート部として、主に営業が取ってきた案件の……」
――株式会社テマフィールド。私たちの会社は、主に企業向けのクラウドサービスを販売している会社だ。
主力商品は勤怠労務管理システム『テマヒキ』で、このシステムの売り上げが全体の七割を占めている。
営業サポートは、営業が受注した後の設定作業やカスタマーサポート、提案資料の作成や雑務までを一手に引き受ける……とにかく多忙な部署だった。
「それで、具体的にどういう役割分担で業務を進めているんだ?」
「基本的には、私より上の先輩方は自分の担当案件を中心に動かれていて……後輩の育成や、部全体の進捗管理、フォロー作業は私が担当しています」
この部署の業務の半分は、間違いなく私が一人で回しているという自負があった。残りの半分を、私以外の全員で分けている……そんな偏った割合だ。
それくらいの負担が私にかかっているって、遠回しにアピールしたかった……。
魚住さんは、ほとんど私の名前で更新されている業務日報の履歴を見ながら、「なるほどな」と小さく声にする。
「は、はい……私が玉木です」
男は目にかかりそうな黒い前髪を人差し指でクイッと分け、「やはりか」と小さく呟いた。
ゆるいパーマがかかった黒髪も、その端正な顔立ちによく似合っている。
「俺は魚住蓮人。いきなりだが、明日からこの部署の課長になる」
その一言は、私だけでなく部署全員の視線を一瞬で集めた。
私たちが席を置く『営業サポート部』の島が、一気にザワザワと騒がしくなる。
(え、新上司? そんないきなり?)
私の頭に浮かんだ疑問が顔に出ていたのか、魚住と名乗るこのイケメンは小さな咳払いを一度すると、平然とした顔で説明を続けた。
「これまでの課長は先週、退職代行を使って辞職の旨を示した。みんなには内密だったようだが、このたび俺が正式にここを預かることになった」
(え……課長、辞めちゃったの!? しかも、退職代行を使ってって……あまりにも無責任だよ……)
確かに課長は、先週から会社に来ていなかった。部長からは身内の不幸って聞かされたけど……まさか裏でそんな修羅場が起きていたなんて。
でもまあ、あの課長ならやりかねない。何をするにも無気力で、最低限の仕事しかしない……お世辞にも頼れる上司とは言えなかった。
システムにちょっと強いってだけで、課長に収まっていたような人だ。
「俺はこれまで、大阪支店で営業をしていた。生まれはここ、東京。二十九歳だ。よろしく」
私に話しかけていたはずが、注目が集まっているのを都合よく利用して、魚住さんはそのまま全体への挨拶に切り替えた。
十人に満たない営業サポートの島から、パラパラと疎らな拍手が起こる。
(大阪支店の人だったんだ……そりゃあ顔を知らないわけだ)
そのとき、タイミングよく部長がデスクに戻ってきた。
「おお、魚住君。もう挨拶は済んだみたいだね」
「はい、成り行きで」
「そうかそうか。みんな、そういうことだからよろしくな!」
この部長も、明るい元気さだけが取り柄で、普段は数字の管理くらいしかしていない中年男性だ。前課長よりはマシだけど……仕事を部下に丸投げするだけで、正直敬意は持てない。
「玉木、お前が現状の業務内容を把握していると聞いた。間違いないか?」
「……え? ま、まあ」
「そうか。なら会議室へ来い。引き継ぎを頼む」
そんなの、部長がやってよ……という心の声は、口が引き裂けても言えなかった。
顔に出ないよう、無理に笑顔を作って「はい!」と返事をする。
(それにしても……本当に背が高いな……私よりも二十センチくらい上じゃない?)
女性の平均身長くらいの私。ということは、魚住さんは百八十センチ近くあるということになる。
隣を歩きながら、そんなくだらないことをぼんやりと考えていた。
「……さっそくだが、この部署の業務内容と、現在抱えている案件を教えてくれ」
幸いにも空いていた小会議室に入り、二者面談のようにデスクを挟んで向かい合う。ミーティングが始まると、魚住さんは素早くノートパソコンを開き、画面と私の顔を交互に見つめながら問いかけてきた。
その真剣な表情を目の当たりにしたら、嫌でもドキドキしてくる……。
「はい。私たちは営業サポート部として、主に営業が取ってきた案件の……」
――株式会社テマフィールド。私たちの会社は、主に企業向けのクラウドサービスを販売している会社だ。
主力商品は勤怠労務管理システム『テマヒキ』で、このシステムの売り上げが全体の七割を占めている。
営業サポートは、営業が受注した後の設定作業やカスタマーサポート、提案資料の作成や雑務までを一手に引き受ける……とにかく多忙な部署だった。
「それで、具体的にどういう役割分担で業務を進めているんだ?」
「基本的には、私より上の先輩方は自分の担当案件を中心に動かれていて……後輩の育成や、部全体の進捗管理、フォロー作業は私が担当しています」
この部署の業務の半分は、間違いなく私が一人で回しているという自負があった。残りの半分を、私以外の全員で分けている……そんな偏った割合だ。
それくらいの負担が私にかかっているって、遠回しにアピールしたかった……。
魚住さんは、ほとんど私の名前で更新されている業務日報の履歴を見ながら、「なるほどな」と小さく声にする。