彼はアメとムチがうますぎる ~つめたい上司のあたたかい味噌汁~
新しい自分と北海道味噌
(今日もまた、三時間しか寝れなかった……)
出社して早々、私はパソコンの画面を見つめたままボーっと意識を飛ばしていた。
あんなに美味しかった昨晩のご馳走は、私の疲労が見せた幻覚だったんじゃないだろうか……なんて、鈍い頭の中で本気で考え始めている。
「おい、玉木」
頭上から落ちてきたその声に、私の背筋はシャキッと伸びた。
低く、澄んだ、凛としたこの声は……。
「……魚住さん!」
昨夜、私の目の前で手際よく腕を振るってくれた新上司の魚住さんが、キリッとした眼差しで私を見下ろしていた。
胸の前で腕を組み、昨日と変わらず一点のシワもない完璧なスーツを着こなしている。
「さっきから何度も呼んでいたんだが。意識、どこへ飛んでいた?」
「え? あ、すいません!」
魚住さんだって昨夜は遅くまで起きていたはずなのに……疲れを一切顔に出さず、すでに完璧な仕事モードへと切り替わっていた。
やっぱり仕事ができる男は、どんなときでも佇まいからして余裕が違う。
「まあいい。それより、昨日残業までして仕上げたあの書類だが……一課の担当者からかなり好評だったぞ」
「本当ですか!? あ、いや、でも……あれは魚住さんが遅くまで手伝ってくださったおかげで……」
「謙遜してるのか? こういうときは素直に喜べ」
クールな顔のまま、さらりと褒めてくれる魚住さん。
てっきり今日も朝から怖い顔で何かしら小言を言われるのだとばかり思っていたけれど……どうやら拍子抜けするほどそんな気配はない。
(やっぱり、昨日の今日だし……『同じ釜の飯を食べた仲』として、少しは優しくしてくれてるのかな)
思わず口元が綻び、私は「ありがとうございます!」ととびきりの笑顔で答えた。
魚住さんがふんと鼻で笑ったその瞬間、その高い背中の影から、小さな人影がひょこっと顔を出した。
「あの……お取込み中すいません……」
会社の規定ギリギリを攻めた明るいカラーリングの髪を揺らし、ぶりっ子後輩の金子ちゃんが上目遣いでこちらの様子を窺っている。
私と魚住さんの顔を交互に見つめるたび、後ろで一本に束ねた長い髪がフリフリと揺れた。
(今日の金子ちゃん、いつにも増して睫毛の調子がいいな……)
メイクに注ぐ情熱の半分でもいいから仕事に向けてくれればいいのに……と、心の中で毒づく。
金子ちゃんは主に私のほうへ甘えるような視線を向けると、手に持っていた書類を差し出してきた。
「これ……全部やり直しくらっちゃって。佐羽さん、お願いしていいですか?」
(……こんなの、入社一年目の新人でも作れるレベルの初歩的な書類じゃない……)
金子ちゃんは入社二年目。もう一年以上パソコンと向き合っているというのに……未だにこんな基本的な作成すらできないなんて。
ため息を押し殺しながら資料を受け取り、「……了解」と小さく返事をした。
「さすが佐羽さん! 助かります!」
金子ちゃんはパッと顔を輝かせると、用は済んだとばかりに颯爽と自分のデスクへ戻っていった。
この資料のフォーマットだって、以前わかりやすく要点をまとめて一から教えたはずなのに……どうして言われた通りの手順すら守れないんだろう。
いつも通り諦めの境地で資料を片手にキーボードを叩こうとした、その瞬間……。
私たちのやり取りを黙って傍観していた魚住さんが、私の耳元へ顔を寄せ、底冷えするような冷たい声を落とした。
「お前、今日も適当な夕飯で済ます気か?」
耳元で棘のある言い方をしてくる魚住さんの声で、私に課されたミッションを思い出した。
(あ……そうか……私のミッションは、金子ちゃんに正当な指導をするということだ)
このままいつも通り仕事を抱え込んだら、私は一生変われない。私自身が逃げ出すのをやめない限り、この部署も絶対に成長はしない。
そして何より、私にとって一日のご褒美となるあの手料理が、食べられないということになる。今このタイミングが、ミッションクリアの第一歩目に繋がるということだ。
思いとどまった私は、キーボードから手を離し、資料を持って金子ちゃんのデスクに向かった。
出社して早々、私はパソコンの画面を見つめたままボーっと意識を飛ばしていた。
あんなに美味しかった昨晩のご馳走は、私の疲労が見せた幻覚だったんじゃないだろうか……なんて、鈍い頭の中で本気で考え始めている。
「おい、玉木」
頭上から落ちてきたその声に、私の背筋はシャキッと伸びた。
低く、澄んだ、凛としたこの声は……。
「……魚住さん!」
昨夜、私の目の前で手際よく腕を振るってくれた新上司の魚住さんが、キリッとした眼差しで私を見下ろしていた。
胸の前で腕を組み、昨日と変わらず一点のシワもない完璧なスーツを着こなしている。
「さっきから何度も呼んでいたんだが。意識、どこへ飛んでいた?」
「え? あ、すいません!」
魚住さんだって昨夜は遅くまで起きていたはずなのに……疲れを一切顔に出さず、すでに完璧な仕事モードへと切り替わっていた。
やっぱり仕事ができる男は、どんなときでも佇まいからして余裕が違う。
「まあいい。それより、昨日残業までして仕上げたあの書類だが……一課の担当者からかなり好評だったぞ」
「本当ですか!? あ、いや、でも……あれは魚住さんが遅くまで手伝ってくださったおかげで……」
「謙遜してるのか? こういうときは素直に喜べ」
クールな顔のまま、さらりと褒めてくれる魚住さん。
てっきり今日も朝から怖い顔で何かしら小言を言われるのだとばかり思っていたけれど……どうやら拍子抜けするほどそんな気配はない。
(やっぱり、昨日の今日だし……『同じ釜の飯を食べた仲』として、少しは優しくしてくれてるのかな)
思わず口元が綻び、私は「ありがとうございます!」ととびきりの笑顔で答えた。
魚住さんがふんと鼻で笑ったその瞬間、その高い背中の影から、小さな人影がひょこっと顔を出した。
「あの……お取込み中すいません……」
会社の規定ギリギリを攻めた明るいカラーリングの髪を揺らし、ぶりっ子後輩の金子ちゃんが上目遣いでこちらの様子を窺っている。
私と魚住さんの顔を交互に見つめるたび、後ろで一本に束ねた長い髪がフリフリと揺れた。
(今日の金子ちゃん、いつにも増して睫毛の調子がいいな……)
メイクに注ぐ情熱の半分でもいいから仕事に向けてくれればいいのに……と、心の中で毒づく。
金子ちゃんは主に私のほうへ甘えるような視線を向けると、手に持っていた書類を差し出してきた。
「これ……全部やり直しくらっちゃって。佐羽さん、お願いしていいですか?」
(……こんなの、入社一年目の新人でも作れるレベルの初歩的な書類じゃない……)
金子ちゃんは入社二年目。もう一年以上パソコンと向き合っているというのに……未だにこんな基本的な作成すらできないなんて。
ため息を押し殺しながら資料を受け取り、「……了解」と小さく返事をした。
「さすが佐羽さん! 助かります!」
金子ちゃんはパッと顔を輝かせると、用は済んだとばかりに颯爽と自分のデスクへ戻っていった。
この資料のフォーマットだって、以前わかりやすく要点をまとめて一から教えたはずなのに……どうして言われた通りの手順すら守れないんだろう。
いつも通り諦めの境地で資料を片手にキーボードを叩こうとした、その瞬間……。
私たちのやり取りを黙って傍観していた魚住さんが、私の耳元へ顔を寄せ、底冷えするような冷たい声を落とした。
「お前、今日も適当な夕飯で済ます気か?」
耳元で棘のある言い方をしてくる魚住さんの声で、私に課されたミッションを思い出した。
(あ……そうか……私のミッションは、金子ちゃんに正当な指導をするということだ)
このままいつも通り仕事を抱え込んだら、私は一生変われない。私自身が逃げ出すのをやめない限り、この部署も絶対に成長はしない。
そして何より、私にとって一日のご褒美となるあの手料理が、食べられないということになる。今このタイミングが、ミッションクリアの第一歩目に繋がるということだ。
思いとどまった私は、キーボードから手を離し、資料を持って金子ちゃんのデスクに向かった。