忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
5.婚姻届
「この前約束しただろ。月曜日に婚姻届を出すって」
私を覗き込んだままの圭介に、私は恐る恐る聞き返す。
「……ほんと?」
不安と祈りはいつの間にか逆転していた。
「明日?」
「当然」
疑いようのない真っ直ぐな声色が、あきらめかけていた気持ちを奮い立たせた。
私はそっと息を吐いた。――なかったことにすればいい。今日のことは忘れてしまおう。私はただ圭介と結婚する。それ以外のことはなにも考えない。考えない。
圭介の手が伸びてきた。すぐに繋ぐ。
強い力で未来へと導かれるのを感じながら、明日から圭介と同じ苗字になる自分をイメージした。
真夏の強い陽射しが照りつける中、繋がった手を離そうとしない圭介を、何度も見上げた。大丈夫よね? 心で問いかける。明日私は『広瀬心菜』になるのよね? なっていいのよね?
声に出していないそれに圭介が頷く。
あたりまえだろ、と言うように、顎をぐっと前に出して雲間を見る。
「心菜、ずっと一緒にいよう」
「……うん」
つられて空を見上げて、頷いた。
+
帰宅すると、納戸として使っている二階の和室で父が箪笥を開け探し物をしていた。
手には黒いネクタイが握られている。
「お葬式?」
ところどころに白いものが混じった髪を眺めつつ聞いた。
「ココ、お帰り。香典袋どこだったかと思って」
「冠婚葬祭用のあれこれは、そこに入ってるよ」
別の引き出しを開けて香典袋を渡す。
「おっと、ついでにこれもみつかった」
父はその横にあった袱紗を掴み深い皺のできた目元で笑った。丸めた肩、緩やかな動作に胸がしめつけられた。私の自慢だったあの父は、いつからこんなにも年相応の中年男性になってしまったのだろう。
「今日は楽しかったか?」
毎週土日のどちらかは圭介と会っている。今日が特別な日であったことを父は知らない。
「どうかしたのか」
「え? ああ、えっと、うん、楽しかったけど」
愛想笑いでやり過ごした。
過去と現在が絡まっているせいで感情が右往左往している。
「お父さん、その、――好きな人とか、付き合っている人とか……いたりしない?」
さりげなく聞いたつもりだった。なのに言葉にしたら湿った問いかけになった。