忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
父は片手を振りながら笑った。
「いない、いない。――そうだ。ココに手紙が届いていたから、リビングに置いたよ」
「ありがと」
「先に下に行ってるぞ」
歩き出した一瞬、父の目が部屋の隅にある収納ケースに向いた気がした。
そこには若葉さんがいた頃、彼女の趣味で買ったカーテンやシーツの類がしまってある。他の段には私や弟のいらなくなったものが入っている。いわゆる、過去のものが。
階段を降りていく遅い足音にまた胸が軋んだ。
若葉さんがあのまま父の傍にいたら、今頃父はどんな風貌になっていたのかと想像した。寄り添う妻がいれば父だって、圭介の父親のように溌剌としていたのかもしれない。私が父と若葉さんの恋を許していれば……。
若葉さんがこの家を出て行ってから、私たち家族は一度も若葉さんの名前を口に出していない。
でもほんとうはどうなのだろう。父は今でも若葉さんを思い出すのだろうか。
♰
――中学二年生、冬。
私は生徒指導室に呼ばれた。
「谷口、なにか悩みでもあるのか」
教室のない北側校舎の三階はひっそりとしていた。
若い女性担任に背中を支えられて生活指導室に入ると、去年の担任だった中年の男性教師と学年主任が私を待っていた。
「どうした、困ったことがあるなら先生たちに相談してみろ」
「クラスのみんなも心配しているのよ」
登校してからずっと、机に突っ伏していた。目立つのは当たり前だった。
私はこのチャンスを逃すまいと、切々と訴えた。
父が若い女を家に住まわせたことで家庭は崩壊寸前だということ。私には居場所がないこと。世話をしてくれていた祖父母とも疎遠になってしまったこと。
演技などしなくとも日常的な孤独感を思い起こせば涙は勝手に溢れてくる。