忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
12.弟じゃなくて
弟を頭の隅に追いやって、圭介に視線を合わせた。
「どうかした?」
圭介は俯いたまま、足元に向かって言葉を落とした。
「俺、弟にはなりませんから」
「え?」
なんて言っているのか聞き取れない。耳を寄せると今度ははっきりと聞こえた。
「俺は弟じゃなくてあなたの恋人になりたいんです」
「!」
響きの強さに驚いて、反射的に目を見開いた。
戸惑うくらいの深い瞳が私を捉えて離さない。
「……でも私、年上だし、今までの恋愛もうまくいかなかったしそれに」
「昔のことはどうだっていいんです。今、俺の目の前に心菜さんがいる、そのことがすべてなんです」
「いったい私のどこが良いの?」
逃げるみたいに聞いた。
はじまりから圭介の気持ちは知っていた。だけど心のどこかで、私はまだ信じていなかったのかもしれない。
「聞いたことなかったけど、教えて」
目の前でバケツの水をひっくり返したのが縁だなんて、そんなことが恋のはじまりだったら相手は私じゃなくてもいいはずだ。
「心菜さんのことは」
言葉をいったん止め圭介はしきりに唇を舐めた。
「気がついたら、好きになって……」
緊張しているのか、目が斜めに下に正面にせわしく動く。
「あの日も、書類を持ってビルを出て行ったあなたがいつ戻ってくるのか、何度も入り口の方を見てて……。柱の陰にモップを回してふと顔をあげたら、あなたが歩いてくるのが見えた。勝手に足が前に出て、そしたらそこにバケツが」
圭介の声は早口だった。聞き漏らさないよう、私も必死に言葉を拾う。
「初めてあなたと目が合ったとき、息が止まったんです。覚えてないでしょう? あなたは通り過ぎて俺はその場で動けなくなった」
圭介の言う通り私には覚えがなかった。
「ずっと目で追ってました。あなたのことが気になって、これが恋かどうか一生懸命考えて、悩んで、遠くから見ているだけにしなきゃいけないと思ってたけど……」
圭介は切なさを持て余したように、私を深くみつめた。
その眼差しは私の心を鷲掴みにした。
「心菜さんと挨拶をかわす間柄になって俺の意識は変わりました。あなたに見られると、勝手に頬が笑い出した。身体の中でなにかが跳ねた。時には音楽も鳴った。それで確信したんです。俺があなたを好きになるのは初めから決まっていたことだって。逆らえないことだって」
膝に乗せていた手に圭介の右手が重なった。
「心菜さん、俺とつきあってください」
「……」
「絶対大切にします。誰よりも。何よりも」
全身が痺れるようだった。感動が小指の爪の先にまで走った。
「あなたを愛しています」
浚われた、と自覚した。
夕暮れも待たず、繋いだ手を引いてホテルへ入った。無言のままただ互いをみつめ、抱き合ってからは何度もキスをして、キスをして、キスをして、時間をかけてひとつに重なった。
「心菜」
圭介は唐突に私を呼び捨てにした。甘く湿った響きがくすぐったかった。
「なに、圭介」
笑いながら、私も圭介を呼び捨てにした。
年下の従順な『男の子』はもういなかった。