忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
第三章
13.白い手紙
朝は、始まる。
目覚ましと共に起き着替えて洗濯物を回し、朝食の用意をしながら父と自分の弁当を作り、合間に新聞を取りに庭へと出る。
いつもと変わらない慌ただしさの中でも、気を抜くと涙が零れてくる。道哉の前で泣いてしまってからというもの、涙は簡単に頬を伝った。
スマホの電源を落とし圭介との連絡を絶って、四日が過ぎた。
「おはよう、心菜ちゃん」
ポストに手を入れたタイミングで、隣に住むおばさんから声を掛けられる。『十四才の頃の私』がばら撒いた嘘を信じ、若葉さんを嫌ってしまったひとりだ。
「おはようございます」
私の涙はすっと隠れて、いつも通りの挨拶ができた。私の罪は今も日常のあちこちに散らばっている。涙を見せて他人から同情されることは許されない。
「今日も暑くなるのかしらねえ」
「きっと暑くなりますよ、出掛けないのが一番です!」
「だめよ、エアコン代がかさむもの。ショッピングセンターで涼むのがいいわ」
おばさんに合わせて少し世間話をし、ポストから新聞と――白い封筒を取り出しながら会釈で別れる。
家の中へ入る前に素早く封筒を開封した。
強く折り目のついた白い便箋が三枚、文字は書かれていない。
圭介の家へ挨拶に行った日から毎日、同じものが届くようになった。
封筒には宛名シールが貼られている。この家の住所と私の名前。毎日印刷しているのか、それともまとめて用意したのか――あと何枚出すつもりなのだろうか……。
その強い執念に、私は恐怖する。
+
会社では、私に対しての“お祝いムード”が広がっていた。
同僚たちの口から簡単に漏れた結婚話は当然上司の耳にも入り、早々に退職話が進んでいった。
「いつまで働ける?」
結婚後も働きたいと言える社風ではないとわかっていたから、型通りの答えを口にした。
「引き継ぎが終わり次第で」
「そうだろうな、準備もいろいろあるだろうし」
「先に有休を少し頂ければありがたいのですが」
「もちろんだ」
簡単な会話で、来週から十日の休みが認められた。
あっけなかった。
鮎川さんが控えめに、私を見ていた。
微笑みと共に首を傾けると、ぎこちなくそばにやってきた。
「あまりお話しできないままお別れするの、すごく残念です」
社交辞令だとしても嬉しかった。
「私も、とても残念」
「あの、よかったらメール交換しませんか」
「もちろん」
きっと鮎川さんとも交換するだけになると思いながら、静かに受け入れた。
「谷口さんの結婚相手ってどんな方なんですか?」
「……ええとね、幼なじみ」
私を気遣って聞いているのだろうと割り切り、私は嘘をつく。道哉が私を便利に使ったことを思い出しながら。
「幼なじみと……。付き合って長いんですか?」
「子供の頃から、かな」
「すごいですね」
太い息を吐き出した鮎川さんを残し、逃げるように席へ戻った。
……言わない、誰にも。
もう結婚自体が白紙に戻ったなんて。
辞める必要もないのに、嘘をつきとおすなんて。
今ならわかるのだ。
若葉さんが父と別れて、仕事まで辞めてしまった理由が。
私も同じだ。圭介と出会ったこの場所を、毎日毎日眺めて生きていくなんてとても耐えられない。