忘れられないひと〜結婚の挨拶に行った先の継母は、私が昔追い出した父の恋人でした〜
2.家族
「ちょっと隣の家に行ったら帰してくれなくてね。まあいつものことなんだけどね。わはは」
足音が止まった後、開け放った障子の竪桟からまず目が、次に足、両手の指、そして最後に体が飛び出してきた。
圭介から聞いていた通りのユーモラスな父親だった。
「親父、遅いよ」
「罰金が必要か、百円でいいな?」
「冗談。特上寿司なら手を打つよ」
「まいった!」
両手を空へ投げる仕草で一連の流れが終わった。
「――はじめまして、谷口心菜です」
私を気遣い、明るく父親を責める圭介の横で、深く頭を下げた。
ほんとうは、「お時間を作っていただきましてありがとうございます」と続けたかった。けれど自己紹介が精一杯だった。
「圭介の父です。圭父と呼んでください」
表情と口調に馴染みがあった。他人の懐に気負いなく入ってくる感じが圭介と同じだった。
「今日という日を首を長くして待ってましたよ。うちの息子と結婚してくれる奇特な方がどんな人か、珍しいもの見たさが」
「ちょ、親父、そりゃないぜ」
「あっはっは」
正面に座った圭父を数秒凝視してしまい、慌てて視線を外した。
――圭介から、切羽詰った表情で「家に遊びに来てほしい」と乞われたとき、ふたりの間の口約束が未来へ向かって動き出すことを確信した。
最初の関門は、両親への挨拶だ。
初対面の印象で嫌われないように雑誌の結婚特集を熟読した。笑顔を絶やさず、淑やかに、はきはきと受け答えをし、落ち着いて――それからなんだっけ。そう、母親の前では特に、恋人を立てて慎ましく、だ。
頭に叩き込んだはずなのに、今何ひとつまともに実行できていない。
蝉の声が聞こえる。
仲間を求めているのか天敵が近くにいるのか、広い庭のどこかに止まった蝉たちが呼応するように存在を主張し始めた。強く真っ直ぐな鳴き声に胸が苦しくなる。一緒になって声をあげたかった。ほんとうに心細くて、かなわない。
「心菜さんは感心なお嬢さんだと息子から聞いていますよ」
目尻を下げたまま圭父が言う。
自分がどんな風に家族に紹介されているのか不安になった。勝手に強張っていく頬を指先で触って誤魔化した。