魔法が使えないと虐げられていた令嬢は、余命わずかな辺境伯の妻になりました

第5話 新しい暮らし

「では、こちらで必要なものをご用意いたします。今夜お召しになるものも、すぐにお持ちしますね」
 あまりにも当然のように言われ、クリスティアーナは戸惑う。
「え……? ばかにしないのですか?」
 思わず口からこぼれた言葉に、マリーが不思議そうな顔をする。
「なぜ、私が奥様をばかにするのでしょうか?」
「だって……わたしはアルディオン辺境伯家へ嫁いできたのに、まともなドレスひとつ持っていないのですよ。誰だって、おかしいと思うでしょう?」
 クリスティアーナとしては、それだけで十分、笑われる理由になると思っていた。新しく雇われたテニエス伯爵家の使用人たちは皆そうだった。平気でクリスティアーナのことをあざ笑っていたのだから。
「クリスティアーナ様はすでにアルディオン辺境伯夫人です。ばかにするなんて恐れ多いことです。私は奥様の専属侍女ですので、クリスティアーナ様は私の主ではありませんか?」
 当たり前のようにマリーは言ったが、クリスティアーナは心底驚いた。
 そんなことを言われるなんて思ってもいなかったからだ。
 
 マリーに手伝ってもらい湯浴みをした。髪を丁寧に洗われ、温かな湯に肩まで浸かる。清潔な湯にゆっくり浸かったのは、いつ以来だろう。
 やがて、夕食が運ばれてきた。部屋へ入ってきたのは、マリーと侍女長だった。
「ご挨拶が遅くなりました。侍女長を務めております、エルダと申します。お食事は、当面こちらのお部屋へお運びいたします。それから、旦那様とはお休みになるとき以外、なるべく接触なさらないようお願いいたします」
「……接触しないように?」
「はい。旦那様の魔力の暴走は昼間に起こることが多いのです」
 エルダは淡々と告げた。
 クリスティアーナは一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに納得した。
 ジェラードからはすでに、跡継ぎを産むためだけの妻だとはっきり言われている。
 昼間は近づかず、必要な夜だけ寝室を共にするというのなら、むしろその言葉どおりなのだろう。
 
 エルダはそれ以上その話を広げず、手際よく食事を並べていった。
 用意されていたのは、よく煮込んだ野菜のスープと、柔らかな白パン、それに少量の白身魚だった。
 辺境伯夫人の夕食としては、ひどく質素に見える献立だ。だが、もちろん理由がある。
 屋敷へ到着したクリスティアーナを見たときから、マリーはその痩せ方を気にしていた。細すぎる手首に、こけた頬。衣服の上からでもわかるほど身体は細く、とても健康的とは言い難い。そして湯浴みを手伝ったことで、その心配はますます大きくなった。
 マリーから報告を受けたエルダは、料理長と相談した。この状態でいきなり肉料理や脂の多い料理を出すのは、かえって身体の負担になるだろう。そう判断して、今夜は消化のよいものだけを少量ずつ用意したのである。
「今夜はこちらをお召し上がりくださいませ。まずは胃に負担の少ないものからにいたしました。問題なく召し上がれるようでしたら、明日から少しずつ品数を増やしてまいります」
「わたしのために、わざわざ変えてくださったのですか?」
「もちろんです。今の奥様に普段どおりのお食事をお出ししても、かえってお身体に負担になりますから」
 ただ、必要だからそうした、そう言っただけだった。
 
 しかし、クリスティアーナには、その当たり前が新鮮だった。自分が食べられるかどうかを考えて料理を用意してもらったことなど、もう長い間なかった。
 テニエス伯爵家では、食事ができるだけでもましだった。冷めていようが残り物だろうが、文句を言うことなど許されない。使用人以下の扱いだったのだから。
 クリスティアーナはスープをひと口飲んだ。野菜のほのかな甘みがゆっくり身体の中へ染み込んでいく。
「……おいしい」
 思わず小さな声が漏れた。
 クリスティアーナが食べきる頃には、長旅の疲れもあって瞼が重くなっていた。
「明日の朝食もこの部屋へお持ちします。仕立屋も午前中には到着するよう手配いたしましたので、今夜はゆっくりとお休みください」
「本当にそんなことまでしてもらえるんですか?」
「はい、奥様には必要なことですから」
 それもまた、ごく普通のこととして言われた。
「それから旦那様も、奥様の体調がもう少し良くなってから同衾するとおっしゃっておりましたので」
「……そうですか」
 その言葉に、クリスティアーナはわずかに胸を撫で下ろした。
 跡継ぎを産むことだけを求められているのなら、到着したその夜から寝室へ呼ばれる可能性も考えていたからだ。まして今夜は初夜だ。当然そうなるものだとも思っていた。だが、当分は一人で眠れることに、ほっとした。
「ありがとうございます」
「それでは、お休みなさいませ」
 エルダが一礼して部屋を出ていく。
 マリーも寝支度に必要なものを確認し終えると、少しして部屋をあとにした。

 ひとりになったクリスティアーナは、今日一日のことを振り返った。魔法が使えないことを罵られなかったし、ドレスを持ってこなかったことを嘲笑もされなかった。 食事はクリスティアーナの体調に合わせて作られ、暖炉の火が燃える部屋を与えられ、柔らかなベッドまである。

 つまり今日一日、誰にも怒鳴られていないし、意地悪もされていない。そのことに気づいた瞬間、クリスティアーナは自分でも驚くほど大きく息を吐いた。

(ここはテニエス伯爵家よりずっといい)

 柔らかな寝具に身体を横たえる。誰にも叱られず、明日の食事の心配もしなくていい。それだけで十分すぎるほどありがたかった。長旅の疲れもあり、クリスティアーナはほどなく眠りへ落ちた。

 翌朝、目を覚ましたクリスティアーナは、運ばれてきた朝食を済ませ、仕立て屋が来るのを待っていた。
 昨日より少しだけこの屋敷で過ごすことへの緊張も薄れていたのだが、ふいに部屋の扉が叩かれる。

「奥様」
 入ってきたマリーが一礼する。
「旦那様がお呼びです」

(昼間は会えないのではなかったの? ……ああ、わかった。ジェラード様はきっと、魔紋がないわたしではだめだと言うのね。こんなみっともない女ではだめだと。自分でも髪はパサパサで肌もボロボロ、痩せすぎた貧相な体つきで、恥ずかしいという自覚があるもの。テニエス伯爵家へ帰れ、と言われるんだわ。どうしよう……)                  

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