幼すぎた君との別れから

22話

 目覚めてすぐ、シーリアは目を腕で覆った。

 いつものキスどころではない、人に言えないような淫らな夢を見た。
 きっと彼の軍服を着て寝たせい。

 彼の服を脱いで、お腹を撫でてなだめる。熱がこもっていた。

 自分の想像力のたくましさが、恐ろしくなる。


 日曜礼拝に合わせて一番上等な黒のデイ・ドレスを選んだ。
 いつもより敏感になった肌。着替えをさせるメイドの手があたるだけで、おののいてしまった。

「もっときつくして」
 シーリアはつぶやいた。

 メイドがコルセットの紐を強く締め上げた。浮ついた気持ちが、少しだけましになった。


 朝食室で軽く食事をとったあと、ミセス・ケインズと馬車に乗り、教会に向かった。


 三十分前に着いた教会。中にはもう人が集まっている。

 寄り集まって種まきの話をする農夫。会衆席に座り聖書を読む老婦人。地主の娘たちと、シーリアは会釈を交わした。

 地主に呼び止められ、ナサニエルのことを聞かれた。首をかしげて微笑むことしかできなかった。

 シーリアはミセス・ケインズと別れ、伯爵家の一番前の席に一人で向かった。


 内陣前の床の石版──伯爵家の地下墓地の入り口。

 シーリアは手前で立ちつくした。

 この下で、おじが眠っている。

 少しためらったあと、胸の前で指を組んで祈りをささげた。

 ずっと、おじに父親の代わりを求めていたような気がする。
 だから恨みきれないのだろうか……
 


 すぐ後ろで足音がした。

 ナサニエルが横を通り過ぎ、伯爵の席に平然と座った。

 シーリアは口をぽかんと開けた。

 やっと、帰ってきた。

──どこに行っていたの?
──何で何も言わずに出ていったの?

 喉にこみ上げた言葉が、会衆の前で爆発しそうだった。

 牧師と聖歌隊が教会堂に入ってきた。

 突っ立ったままの彼女に、ナサニエルは問いかけるような視線を向けた。 

 シーリアは彼の隣に崩れるように座った。
 だらしない自分の姿に気づき、急いで姿勢を正す。
 
 唇を噛み、何度も彼を盗み見た。
 
 帰ってきてくれた……


 パイプオルガンの演奏。
 全員が立ち上がった。

「賛美歌集を見せてくれないか?忘れてきたんだ」
 やけに優しいナサニエルのささやき声。

 シーリアはうろたえながら、ナサニエルに歌集を差し出した。

 空の袖に腕が触れる。思わず声が漏れた。
 彼は気にする様子もなく、左手を伸ばして本の左側を持ち、身をかがめた。

 距離がぐっと近くなる。

 彼の体が発するムスクのような温かい香りと、息づかい。
 時折感じる彼の視線に、シーリアの視界が熱に浮かされたようにぼやけてきた。

 聖歌隊の透明感のある讃美歌と、彼の深く重みのある歌声が体に響く。
 シーリアもかすれた小さな声で歌った。



 礼拝が終わりミセス・ケインズと教会の外に出ると、ポーチに迎えの馬車が止まっていた。久しぶりに見るアリが、そのそばに控えている。

 アリがにこやかにドアを開けた。

 ネイトも一緒に乗るのかしら……
 そわそわとしながら馬車に乗る。
 すぐあとにナサニエルが入って来た。

 アリがドアを閉めた。

「ミセス・ケインズがまだよ!」

 シーリアは腰を浮かせてナサニエルの向こうの窓に手をついた。

 ミセス・ケインズはアリに距離を詰めて話しかけられ、逃げ腰になっている。

「アリはミセス・ケインズと村をゆっくり散策しながら帰りたいそうだ」

「ええ?」

 教会から出てきた信徒たちが、二人を見ながら口を開けている。

 馬車が走り出した。

 ナサニエルが彼女の頬にふいに口づけをした。頭の中が真っ白になった。

「危ないから座りなさい」
 落ち着いた声でナサニエルは言った。

 シーリアは座って頬をそっと撫でた。

 あんなに荒れていたのに、どうして……

「ミセス・ケインズが領民達になんて言われるか……」

 ナサニエルはどうでもよさそうに肩をすくめ、座席にゆったりと寄りかかった。
 
 体格のいい彼が乗ると、馬車の中がとても狭い。



 砂利の敷かれた小道。低い石垣の向こうの広い牧草地で、羊が放牧されている。

 隣に座るナサニエルは、機嫌よさそうに窓の外の景色を眺めていた。

 シーリアは目をぎゅっと閉じた。

 怒って行方をくらましてからの、突然の帰宅。頬への気軽なキス。

 どういうつもりなの?
 今の彼が分からない。

 もう一度ナサニエルをのぞき見た。
 指先で膝を叩きながら、リズムをとっている。



 ナサニエルがいきなり彼女と目を合わせた。

「弔問客の対応をしてくれていたそうだね」

 シーリアは脚をさすりながら頷いた。

「……でしゃばって、余計なことをしたわ。不快にさせたならごめんなさい」

「とんでもない。これからも助けてほしいと思っている。私も爵位を継いだばかりで屋敷のことを持て余しているんだ」

 ナサニエルが左手を伸ばして、膝の上の彼女の手を包み込むように握った。

 体が硬直した。彼の大きな手が、手袋ごしに指輪を確かめている。

 離れないと……

 彼が目を容赦なく覗き込んできた。
 昨夜の夢を見透かされそうな気がして、素早く下を向く。

「ヘイズの……フィリップ・ヘイズのことについて、君に聞きたい」
 ナサニエルがつぶやいた。

 シーリアはじりじりと後ろに下がった。彼の手に力が籠る。

「君はきっとショックのあまり、判断力を失っていたんだろう」
 
「……え?」

 ナサニエルが彼女の手首をつかみ、ぐっと引いた。シーリアは前のめりになった。

「あいつに恋をしているようには見えない。……愛してはいないんだろう?」

 彼はこわばった笑みを浮かべた。

「君も十九だ。結婚に、焦っていたのかもしれないね」

 彼の手を振り払い、シーリアは荒い息をした。

 どれだけこの決断に苦しんだかも知らないで……

「あまり個人的な話はしたくないの」

 ナサニエルは少し間をおいてから、鼻で笑った。
 
 シーリアは窓にもたれて両手を握りしめた。
 彼の態度が一変したのはなぜ?この余裕は何?

「……今までどこにいたの?」

 ナサニエルは咳払いをした。
「個人的な話はしたくない」

 ふいに一つの考えに至り、シーリアの顔から血の気が引いた。
 
 簡単に応じる相手だと、思われてしまったのだろうか。
 ロンドンの昔なじみの女のように。

 
 馬車が止まった。いつの間にか、屋敷の前に到着していた。
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