幼すぎた君との別れから

23話

 馬車から下りるシーリアをエスコートしたあと、ナサニエルはあっさりと屋敷に入って行った。

 シーリアは玄関の前で、じっとミセス・ケインズの帰りを待った。

 今日のナサニエルを、頭の中で何度も反芻する。

 三十分ほどして、並木道の下にアリとケインズの姿が見えた。

 シーリアに気づいたミセス・ケインズが小さく手を上げた。
 頬が紅潮している。
 アリが微笑んで、シーリアに軽く会釈をした。


 彼女の前で二人が歩みを止めた。

「ミセス・ケインズ。あなたはインドのことを本当によくご存じだ。……とても……とても楽しい時間でした」

「本で得た知識なのに、偉そうにひけらかしてしまいましたわ。わきまえずに……」

「聡明な女性は私の理想ですよ」

 アリに見つめられて、ミセス・ケインズの頬が更に赤くなった。


「大尉がお待ちですので、私はこれで」

 アリは何度も振り返りながら、通用口の方に向かう。
 ミセス・ケインズがアリの背中を目で追っていた。

「ミセス・ケインズ?」

 ミセス・ケインズがはっと息を吸った。

「も、もうお昼ですね。なんだか歩いたせいか、お腹がすいてしまいました」
 やたらと明るく言いながら、顔を扇子であおいだ。

 シーリアは眉をひそめた。

「ミセス・ケインズ。その……彼は外国人よ?」
 慎重に声のトーンをおさえる。

 ミセス・ケインズがたじろいだ。

「スミス先生は?」

 穏やかな主治医──スミスは明らかにミセス・ケインズに惹かれている。
 プロポーズされるのは時間の問題だろうと、シーリアは踏んでいた。
  
「レディ・シーリア!妙なことを言わないでください!」

「でも……」

 ミセス・ケインズにいらない苦労はしてほしくない……

「さあ、入りましょう。歩かされたせいで、空腹で倒れてしまいそうです。旦那様はどういうおつもりなのかしら、二人きりで馬車に乗るなんて……」

 もの言いたげに、ミセス・ケインズが見てくる。
 シーリアは言葉をぐっと飲み込んだ。



 ナサニエルは馬に乗り、庭園を自由に走らせた。

 朝日が目にまぶしい。

 丘の上のオベリスク前。片手で手綱を引き、馬を止めた。手綱をゆるめ、たてがみを軽く叩く。
 寒さに馬の息が白くなっていた。

 五年前に馬丁に預けた軍馬。今も私を忘れていなかった。


 林の向こうに見えるデランシー・ホールの青灰色の屋根。

 彼女は夕べも、私の服を着て眠ったのだろうか。

 ナサニエルは目を伏せて、唇を舐めた。

 個人的な話はしたくない──だと?
 まったく……彼女は素直じゃない。

 顎を高く上げた。

 西側にある、霧に霞んだなだらかな山。あの山の向こう側がヘイズの領地。

 さあ、どうしようか……

 父親の方は簡単に金になびくだろう。


 のんびりと馬を湖畔まで歩かせ、ボートハウスの前で折り返し、厩舎に向かった。



 厩舎の前に馬に乗った男がいる。
 ナサニエルは目を凝らした。
 フィリップ・ヘイズだった。

「ミスター・ヘイズ」

 ナサニエルは帽子のつばに軽く指を当てた。

 こちらが興ざめするほど、フィリップは顔を歪めている。

 フィリップが短鞭を振り下ろして音をたてた。フィリップの馬がたじろぐ。

「何が後見人だ。腐りきった悪党め……」

 ナサニエルはピクリと眉を動かした。

 今は挑発に乗るべきではない。
 大きく深呼吸をした。

 できるだけ穏便に、ヘイズに諦めさせる策はないものか……

 屋敷のほうからシーリアが歩いてくる。

「シーリア?」

「僕が彼女を呼んだ」

 シーリアが、こちらに気づき、ぴたりと足を止めた。

 ナサニエルはフィリップを注視しながら、シーリアの姿を遮るように馬を動かした。

「何のつもりだ」

「……元大尉。僕と勝負をしませんか」

 フィリップが馬をゆっくりと旋回させる。

「勝負?」

「どちらが速いか勝負しましょう。そうだな……終着点はあの東屋だ」

 フィリップが芝生の中に小さく見える東屋を指差した。

「僕が勝ったらシーリアは連れて行く」

 ナサニエルは口をすぼめた。フィリップ・ヘイズは自信満々に胸を大きく反らしている。
 
 この男は騎兵隊だった私に、本気で勝てると思っているようだ。
 
「……私が勝ったらどうなる」

 フィリップはナサニエルの右袖へ視線を向け、鼻筋に皺をよせた。

「何でも好きにすればいい」

 ナサニエルは心の中でほくそ笑んだ。

「シーリアと君との婚約解消──ただし、平和的に」

 フィリップは急に不快な笑い声を上げた。

「魂胆を隠しもしなくなったな……いいだろう」


 ナサニエルはフィリップの横に並んだ。

「シーリア!見ていてくれ!」
 フィリップが声を張り上げた。
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