幼すぎた君との別れから
27話
ヘイズ家の門番小屋の前で馬車が止まった。なかなか進まない。
正面窓を開けた。
「どうした」
「ゲートが閉められております」
御者が答えた。
ナサニエルは馬車を降りた。
日中なのにきっちりと閉められた鍛鉄のゲート。鍵までかかっている。アリが呼び鈴を鳴らした。
アーチ型のゲートの上の窓から、門番が少しだけ顔をのぞかせた。
「フォーチェスターだ。ヘイズ卿に会いに来た」
「旦那様はお会いになりません」
そう言うと、門番はさっと顔を引っ込めた。
ナサニエルは口を大きく動かして、引きつった顔を意識的に緩めた。
ゆっくりとゲートに歩み寄り、アリを押しのけて呼び鈴を鳴らす。門番は出てこない。
深呼吸をして、呼び鈴を激しく鳴らした。
門番が静かに窓を閉めた。
「どういうことだ?」
呆然としながら首を横に振った。
ヘイズ卿はこの話を蹴るつもりなのか?三万ポンドだぞ?ヘイズ家を立て直せるというのに……
「ミスター・ヘイズが妨害しているのかもしれませんね。父親は何も知らずに」
ゲートを見上げていたアリが、短剣を差した腰のあたりを叩きながら視線を下げた。
一時間ほど、時折呼び鈴を鳴らしながらゲート前で粘った。
黒いヘルメットを被った警官が歩いてやってくる。
ナサニエルの喉が急に渇いた。
「フォーチェスター卿。あなたが強引に立ち入ろうとしているという、連絡が入っておるのですが……」
口髭をたくわえた警官がしどろもどろに言った。
ナサニエルの握り拳が震えた。
フィリップ・ヘイズ……人を切りつけておきながら、よくも被害者面ができるな。
窓の向こう、庭園に入ってくる馬車が見えた。御者の隣にアリが座っている。
ネイトだわ。
馬車が止まり、彼が降りてきた。
シーリアはぐったりと窓にもたれた。
行き先を告げずに出かけたナサニエル。またいなくなってしまったかと思った。
うなだれ、顔を両手で覆う。
何もしていないのに、どっと疲労感が押し寄せた。
その日の晩餐にナサニエルは現れなかった。
悪寒がするという理由で。
シーリアはダイニング・ルームを出ると、階段をのぼり、自分の部屋の前を通り過ぎてナサニエルの部屋の前で止まった。
そわそわとしながら硬いドアに耳を押し当てる。
何も聞こえない。
眠っているのだろうか……
ふいに中からナサニエルの悪態が聞こえた。
ドアをノックしかけた手を止めた。
今度は彼の大きな怒鳴り声が聞こえた。
シーリアは胸に手をあてながら後ずさりをした。
外出先で何かあったのかしら……
シーリアは天蓋のカーテンをきっちり閉め、ベッドに横になった。
軍服を羽織って寝る姿をメイド達に見られたら、たまらない。
ごわついたカーキ色の袖の余った部分を握りしめて頬にあてる。
そろそろこれもやめないと。癖になる前に……
暖炉で石炭が、パチパチと音を立てている。
それを聞いているうちに、次第に眠気に包まれた。
優しく触れるだけの短いキスだった。
前なら、これで胸がいっぱいになれたのに。
シーリアは夢の暗闇の中で両腕をのばした。彼の体を見つけて、首に腕を巻き付けた。
「……もっと」
ずしりと重みがのしかかった。
肺が押されて、息を必死に吸い込む。
「シーリア……」
ナサニエルの声だった。
目を開けた。薄暗い中、目前にある彼の顔がかろうじて見える。
どうしよう、夢じゃない。
アルコールの匂いがぷんぷんとする。
彼の口づけがシーリアのうめき声を飲み込んだ。
指が絡み合った。ナサニエルの唇が耳たぶ、首をたどっていく。
シーリアは頭をのけぞらせて声を堪えた。
止めないと……
絡んだ手を離して、ナサニエルの体を押した。
逞しい胸。本当は手のひらを這わせて、彼の全てを知りたい。
彼の体が離れて軽くなった。
終わった……
肌寒さを感じて、シーリアはぶるっと震えた。
ナサニエルの手が彼女の足の甲を掴んだ。つま先のひとつひとつにキスをしている。
「ネイト……!」
なんてこと……
シーリアは火照る顔を両手で覆った。
ナイトドレスが膝までたくし上がっている。
彼がまたのしかかった。
ナイトドレスの襟元のボタンを外そうとしている。
「ネイト、やめて……」
ボタンが弾け飛んだ。
「ネイト!」
はっと息を吸い込む音がした。
静かな部屋にお互いの乱れた呼吸だけが聞こえた。
シーリアの体は震えが止まらなかった。怯えのせいだけではなかった。
ナサニエルはじっと動かない。
少しして、シーリアの横にドサリと崩れ、彼女をきつく抱きしめた。
少し体の位置を変えた。脚が触れ合って同時にびくりと身じろぎをする。
シーリアは眠ることもできず、ナサニエルの腕の中で身を縮め、息を殺していた。
不自然な息づかいで、彼も起きているのは分かった。
閉め切った天蓋のカーテンの向こうで、ろうそくが燃え尽きた。
朝がきたのだろうか。メイドが暖炉の火をつける気配がする。
メイドが出ていった。そのあとようやくナサニエルも、静かに部屋を出ていった。
朝食室の置き時計は朝十時すぎ。
今日はナサニエルと時間をずらした。
ミセス・ケインズが隣の席で好物のケジャリーを食べている。
手に持つカップとソーサーが、カタカタとみっともない音をたてた。シーリアはそれを素早くテーブルに戻し、指先を揉んでほぐした。
「ミセス・ケインズ……あの、少し聞いてもいい?」
ミセス・ケインズが、皿にフォークを置き、中指で眼鏡を押し上げた。
「まあ、レディ・シーリア。ガヴァネスと生徒の頃のようですね。何でしょう?」
声を弾ませながら、ミセス・ケインズが言った。
シーリアはぎゅっとまばたきをして、重い口を開いた。
「あの……」
壁一面の格子窓から、やたらと明るく日が差し込んでいる。ひどく場違いな気がした。
ミセス・ケインズが体をこちらに向けて、首をかしげる。
「あ、あの、少し興味をもっただけなんだけど……女性が妊娠しないようにする方法──」
「レディ・シーリア……」
ミセス・ケインズの目がつり上がった。
「なぜそんなことを聞くのです?」
思わず背中を丸める。
「そんな話、レディのあなたには関わりのないことです」
「そ、そうよね。ごめんなさい」
ミセス・ケインズの横顔をそっとうかがった。
鋭い視線が返ってきた。
シーリアは膝をさすった。
ネイトとベッドをともにすれば、子供ができるかもしれない。フィリップとの婚約を解消できていないのに……
孤立感に胸が苦しくなった。
クロッカーが部屋に入ってきた。
シーリアの体が震えた。
「ミセス・ケインズ、電報が届いております」
「電報?……まあ、義兄からだわ」
クロッカーが部屋を出ていく。シーリアは椅子にもたれ、大きく息を吐いた。
ミセス・ケインズが電報に目を走らせて、顔をしかめた。
「牧師のお義兄さまから?なにかあったの?」
「姉がひどい風邪をひいたようです。少しの間、教会の手伝いに来てほしいと。大丈夫かしら……」
電報を胸に押し当てた。
「レディ・シーリア。姉の風邪が治るまで、手伝いに行ってもかまわないでしょうか?」
ミセス・ケインズがいなくなるなんて……
無意識に唇が開いて、鼓動が激しくなった。
どうしよう……
同じことがあったら、彼を受け入れてしまいそうな自分がいる。
シーリアは、テーブルの縁を強く握りしめた。
「ミセス・ケインズ。私も一緒について行ってもいい……?」
ミセス・ケインズがぱちぱちとまばたきをした。
「ええ、それは構いませんが……小さな屋敷ですよ?メイドも一人しかいませんし、私も姉の世話やら義兄の手助けやらで一緒にいられるか……いいのですか?」
目を伏せて頷いた。
「そうですか……では、そうしましょうか。喪中の気分転換になるかもしれませんね」
正面窓を開けた。
「どうした」
「ゲートが閉められております」
御者が答えた。
ナサニエルは馬車を降りた。
日中なのにきっちりと閉められた鍛鉄のゲート。鍵までかかっている。アリが呼び鈴を鳴らした。
アーチ型のゲートの上の窓から、門番が少しだけ顔をのぞかせた。
「フォーチェスターだ。ヘイズ卿に会いに来た」
「旦那様はお会いになりません」
そう言うと、門番はさっと顔を引っ込めた。
ナサニエルは口を大きく動かして、引きつった顔を意識的に緩めた。
ゆっくりとゲートに歩み寄り、アリを押しのけて呼び鈴を鳴らす。門番は出てこない。
深呼吸をして、呼び鈴を激しく鳴らした。
門番が静かに窓を閉めた。
「どういうことだ?」
呆然としながら首を横に振った。
ヘイズ卿はこの話を蹴るつもりなのか?三万ポンドだぞ?ヘイズ家を立て直せるというのに……
「ミスター・ヘイズが妨害しているのかもしれませんね。父親は何も知らずに」
ゲートを見上げていたアリが、短剣を差した腰のあたりを叩きながら視線を下げた。
一時間ほど、時折呼び鈴を鳴らしながらゲート前で粘った。
黒いヘルメットを被った警官が歩いてやってくる。
ナサニエルの喉が急に渇いた。
「フォーチェスター卿。あなたが強引に立ち入ろうとしているという、連絡が入っておるのですが……」
口髭をたくわえた警官がしどろもどろに言った。
ナサニエルの握り拳が震えた。
フィリップ・ヘイズ……人を切りつけておきながら、よくも被害者面ができるな。
窓の向こう、庭園に入ってくる馬車が見えた。御者の隣にアリが座っている。
ネイトだわ。
馬車が止まり、彼が降りてきた。
シーリアはぐったりと窓にもたれた。
行き先を告げずに出かけたナサニエル。またいなくなってしまったかと思った。
うなだれ、顔を両手で覆う。
何もしていないのに、どっと疲労感が押し寄せた。
その日の晩餐にナサニエルは現れなかった。
悪寒がするという理由で。
シーリアはダイニング・ルームを出ると、階段をのぼり、自分の部屋の前を通り過ぎてナサニエルの部屋の前で止まった。
そわそわとしながら硬いドアに耳を押し当てる。
何も聞こえない。
眠っているのだろうか……
ふいに中からナサニエルの悪態が聞こえた。
ドアをノックしかけた手を止めた。
今度は彼の大きな怒鳴り声が聞こえた。
シーリアは胸に手をあてながら後ずさりをした。
外出先で何かあったのかしら……
シーリアは天蓋のカーテンをきっちり閉め、ベッドに横になった。
軍服を羽織って寝る姿をメイド達に見られたら、たまらない。
ごわついたカーキ色の袖の余った部分を握りしめて頬にあてる。
そろそろこれもやめないと。癖になる前に……
暖炉で石炭が、パチパチと音を立てている。
それを聞いているうちに、次第に眠気に包まれた。
優しく触れるだけの短いキスだった。
前なら、これで胸がいっぱいになれたのに。
シーリアは夢の暗闇の中で両腕をのばした。彼の体を見つけて、首に腕を巻き付けた。
「……もっと」
ずしりと重みがのしかかった。
肺が押されて、息を必死に吸い込む。
「シーリア……」
ナサニエルの声だった。
目を開けた。薄暗い中、目前にある彼の顔がかろうじて見える。
どうしよう、夢じゃない。
アルコールの匂いがぷんぷんとする。
彼の口づけがシーリアのうめき声を飲み込んだ。
指が絡み合った。ナサニエルの唇が耳たぶ、首をたどっていく。
シーリアは頭をのけぞらせて声を堪えた。
止めないと……
絡んだ手を離して、ナサニエルの体を押した。
逞しい胸。本当は手のひらを這わせて、彼の全てを知りたい。
彼の体が離れて軽くなった。
終わった……
肌寒さを感じて、シーリアはぶるっと震えた。
ナサニエルの手が彼女の足の甲を掴んだ。つま先のひとつひとつにキスをしている。
「ネイト……!」
なんてこと……
シーリアは火照る顔を両手で覆った。
ナイトドレスが膝までたくし上がっている。
彼がまたのしかかった。
ナイトドレスの襟元のボタンを外そうとしている。
「ネイト、やめて……」
ボタンが弾け飛んだ。
「ネイト!」
はっと息を吸い込む音がした。
静かな部屋にお互いの乱れた呼吸だけが聞こえた。
シーリアの体は震えが止まらなかった。怯えのせいだけではなかった。
ナサニエルはじっと動かない。
少しして、シーリアの横にドサリと崩れ、彼女をきつく抱きしめた。
少し体の位置を変えた。脚が触れ合って同時にびくりと身じろぎをする。
シーリアは眠ることもできず、ナサニエルの腕の中で身を縮め、息を殺していた。
不自然な息づかいで、彼も起きているのは分かった。
閉め切った天蓋のカーテンの向こうで、ろうそくが燃え尽きた。
朝がきたのだろうか。メイドが暖炉の火をつける気配がする。
メイドが出ていった。そのあとようやくナサニエルも、静かに部屋を出ていった。
朝食室の置き時計は朝十時すぎ。
今日はナサニエルと時間をずらした。
ミセス・ケインズが隣の席で好物のケジャリーを食べている。
手に持つカップとソーサーが、カタカタとみっともない音をたてた。シーリアはそれを素早くテーブルに戻し、指先を揉んでほぐした。
「ミセス・ケインズ……あの、少し聞いてもいい?」
ミセス・ケインズが、皿にフォークを置き、中指で眼鏡を押し上げた。
「まあ、レディ・シーリア。ガヴァネスと生徒の頃のようですね。何でしょう?」
声を弾ませながら、ミセス・ケインズが言った。
シーリアはぎゅっとまばたきをして、重い口を開いた。
「あの……」
壁一面の格子窓から、やたらと明るく日が差し込んでいる。ひどく場違いな気がした。
ミセス・ケインズが体をこちらに向けて、首をかしげる。
「あ、あの、少し興味をもっただけなんだけど……女性が妊娠しないようにする方法──」
「レディ・シーリア……」
ミセス・ケインズの目がつり上がった。
「なぜそんなことを聞くのです?」
思わず背中を丸める。
「そんな話、レディのあなたには関わりのないことです」
「そ、そうよね。ごめんなさい」
ミセス・ケインズの横顔をそっとうかがった。
鋭い視線が返ってきた。
シーリアは膝をさすった。
ネイトとベッドをともにすれば、子供ができるかもしれない。フィリップとの婚約を解消できていないのに……
孤立感に胸が苦しくなった。
クロッカーが部屋に入ってきた。
シーリアの体が震えた。
「ミセス・ケインズ、電報が届いております」
「電報?……まあ、義兄からだわ」
クロッカーが部屋を出ていく。シーリアは椅子にもたれ、大きく息を吐いた。
ミセス・ケインズが電報に目を走らせて、顔をしかめた。
「牧師のお義兄さまから?なにかあったの?」
「姉がひどい風邪をひいたようです。少しの間、教会の手伝いに来てほしいと。大丈夫かしら……」
電報を胸に押し当てた。
「レディ・シーリア。姉の風邪が治るまで、手伝いに行ってもかまわないでしょうか?」
ミセス・ケインズがいなくなるなんて……
無意識に唇が開いて、鼓動が激しくなった。
どうしよう……
同じことがあったら、彼を受け入れてしまいそうな自分がいる。
シーリアは、テーブルの縁を強く握りしめた。
「ミセス・ケインズ。私も一緒について行ってもいい……?」
ミセス・ケインズがぱちぱちとまばたきをした。
「ええ、それは構いませんが……小さな屋敷ですよ?メイドも一人しかいませんし、私も姉の世話やら義兄の手助けやらで一緒にいられるか……いいのですか?」
目を伏せて頷いた。
「そうですか……では、そうしましょうか。喪中の気分転換になるかもしれませんね」