幼すぎた君との別れから

30話

 ドローイング・ルームにミセス・ケインズが顔を見せた。

「ミセス・ケインズ!」

 シーリアは、ぱっと椅子から立ち上がった。

「ただいま戻りました。レディ・シーリア」

 うしろにいるアリの目の奥がやけに輝いている。アリは会釈をすると、そのまま去って行った。

「お帰りなさい。疲れたでしょう?砂糖は二つ?」

「あ、いえ……今日はお砂糖なしで」

 シーリアは首をかしげながら、ティーテーブルでミセス・ケインズのお茶を用意した。

 ソーサーにのせたカップを、彼女にさし出す。ミセス・ケインズは胸に手をあて何度も深呼吸をしている。気がついていない。

「あら、ご、ごめんなさい!いい香りだわ」

 紅茶を受け取り一口飲むと、また抜け殻のようになった。

「何かあったの?」

 ミセス・ケインズが硬直した。

「い、いえ……」

「そう?」

 今日はシーリアもミセス・ケインズも、銀皿に乗った軽食に手を付けなかった。

 ミセス・ケインズが紅茶をサイドテーブルに置き、咳払いをした。
 
「私のことよりレディ・シーリア。あなたのことです。旦那様はあなたの婚約をどうなさるおつもりなんでしょう」

 シーリアは席を離れ、窓辺に茂る背丈ほどの観葉植物の葉をつまんだ。
 
「……ミセス・ケインズ……私、フィリップとは結婚しない」

 ついに言った……

 沈黙がとても長く感じた。思わず首を引っ込める。
 ミセス・ケインズがシーリアの張りつめた背中に触れた。

「あなたが心配です。レディ・シーリア」
 ミセス・ケインズが静かにこぼした。

「……ネイトを愛してるの」
 涙声になった。

 少しして、ミセス・ケインズが口を開いた。
「……そうだろうと思っていました」

 シーリアはぎこちなく振り返った。
「反対する?」

「私は……分かりません。付添人の立場なら、止めるべきなのでしょうけれど……旦那様も、同じお気持ちなのですね?」

 シーリアは首を左右に振った。
「分からない、そこまでは……」

「そんな……」
 ミセス・ケインズがなじるように鋭く言った。

 シーリアは肩を落として細長い葉をちぎった。

 それでもいい。
 一緒にいさせてくれるなら。



 ナサニエルはドローイング・ルームの窓の外を睨んだ。

 大木の枝が大きくしなり、暴れ、風が甲高い音をたてている。バケツが飛んでころがり落ち、またどこかに飛んで行った。

 ウィリアム・ヘイズはこの嵐で、馬車を出せただろうか。


 午後四時前、クロッカーがウィリアム・ヘイズの訪問カードを持って、彼の到着を知らせた。
 ナサニエルはカードを手に持ち、何度もうなずいた。

 彼には、連絡の取れないヘイズ卿との間を取り持ってもらうつもりだった。



 ドローイング・ルームに入って来たウィリアム・ヘイズ。髪と口髭に白髪の混じった、小柄で少し気難しそうな男だった。

「ヘイズ教授」

 ナサニエルが立ち上がると、ヘイズ教授は丁寧に会釈をした。

「フォーチェスター卿。お目にかかれて光栄です」

 ナサニエルは会釈を返し、いくつかの椅子とソファーのあるあたりを手でさした。

「どうぞ、こちらにお座りください。嵐は大丈夫でしたか?」

 風雨の音は弱まる気配がない。

「屋敷を出たときは、大したことはなかったのですが、いやもう参りました……少し落ち着くまでこちらに留まっても、かまわないでしょうか?」

「もちろんです」

 聞いていた通り、ヘイズ教授は一人ではなかった。
 そわそわと目を動かす赤毛の青年──息子だろう。もう一人、ヘイズ教授には若すぎる妻にナサニエルは一瞬眉をひそめた。

 弔問に、明るいマスタード色のドレスを着てくるとは……

 一つのソファーにヘイズ教授一家は身を寄せて座った。
 中央に座ったヘイズ教授の妻が、不自然に視線を送ってくる。

 ナサニエルは作り笑いを浮かべて目を合わせた。
 座ろうとしていた近くの椅子から、反射的に飛び退く。

──バークリー……?

「し、失礼」

 ナサニエルは平静を装って椅子に座った。

「妻は以前こちらでお世話になっておったそうです。覚えていらっしゃいますか?」

 何とか無理をして、もう一度バークリーと目を合わせた。

「ええ……ガヴァネスをされていた、ミス・バークリーですね?」

 バークリーはにっこりと笑った。
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