幼すぎた君との別れから

31話

「心からお悔やみ申し上げます、フォーチェスター卿。お父様とは何度かお会いしましたが、軍人らしいとてもご立派な方でした」

 ヘイズ教授は言葉を慎重に選ぶように話した。
 父とはほとんど面識は無かっただろう。

 ヘイズ教授とあたりさわりのない会話をしながら、話を切り出す頃合いを図った。
 ミス・バークリー──ミセス・ヘイズがまだこちらを観察している。

 ナサニエルの首の筋が徐々に張った。

「ヘイズ教授、あなたに相談があるのです。図書室に場所を移しても?」

「え、あ、ええ……」
 ヘイズ教授がそわそわしながら立ち上がった。

 立ち上がろうとしたミセス・ヘイズに、ナサニエルはすかさず言った。

「奥様とご子息はこちらでお待ちいただけますか?クロッカー、二人にお茶を出してくれ」

「かしこまりました、旦那様」
 控えていたクロッカーが答えた。



 奥行きのある造りの図書室。ヘイズ教授が高い本棚に目を奪われながら、鮮やかな赤の肘掛け椅子に座る。ナサニエルはその斜めの位置に配置されたスツールに座った。

「ヘイズ教授、実はあなたにヘイズ卿との間を仲立ちしてほしいのです」

 ヘイズ教授は両眉を高く上げたあと、しかめた。

 ナサニエルは自分の膝をぐっとつかんだ。

「私の被後見人、レディ・シーリアとミスター・フィリップ・ヘイズの婚約を解消したいと考えています。しかし、ヘイズ卿との連絡が取れない……ヘイズ教授、どうか私を助けてはいただけないでしょうか」

「なんと、婚約解消を……」

「ええ」

「なるほど……接点のないわたしが呼ばれた理由がやっと分かりました」

 ナサニエルは咳払いをした。やはりヘイズ家の人間とは気が合わない。

「ミスター・フィリップには、十分な賠償を用意します」

 ヘイズ教授が深いため息をつき、首を横に振った。

「フォーチェスター卿……申し訳ありませんが、私にその役は務まらないでしょう。遺産で揉めて以来、兄とは一度も会っていないのです」

 ナサニエルは頬の内側を強く噛んだ。

「そうですか……それは残念だ。しかし、兄弟なら手紙を手渡すことぐらいはできるのでは?」

「お許しください、フォーチェスター卿。顔も見たくないのです」

 頑なな物言い。
 ナサニエルは目を閉じた。下手に出た分だけ、顔によけいな火照りを感じる。

「結構」
 さっとスツールから立ち上がった。

 シーリアに説明しなくて良かった。厄介な妻共々、早く帰らせよう。他の当てを探せばいい。

「またひどくなりましたな」

 ヘイズ教授のつぶやきに、ナサニエルは心の中で毒づいた。

 芝生に植わっているオークの太い枝が風で折れている。
 経験したことがないような、ひどい嵐だった。

 ヘイズ教授が額をさすった。
 とても帰りの馬車は出せないだろう。
 


 嵐の中到着した、ヘイズ教授の馬車。三人連れだった。

 シーリアは窓辺を離れ、頬をさすった。
 お茶のおもてなしぐらいするべきだろうか。

 決心がつかないまま時間が過ぎた。嵐の音が追い立ててくるように感じる。

 ノックの音。シーリアが返事をすると、クロッカーがドアを開けた。

「レディ・シーリア。ミセス・ヘイズがお話をしたいとおっしゃっておりますが……」
 歯切れ悪く、クロッカーが言った。

「分かったわ。すぐ行きます」

 シーリアは座ったばかりの椅子から立ち上がり、ドレスの皺を手で伸ばした。

 思い悩む必要がなくなって、かえって良かった。

 ドアに向かう。
 すれ違いざまに、クロッカーが抑えた声で言った。
「ヘイズ教授の夫人は、以前こちらにいたミス・バークリーです」

 シーリアはぎょっとしてクロッカーを見つめた。

「もう一度言ってくれる?」

「ミセス・ヘイズは、以前解雇されたミス・バークリーです、レディ・シーリア。念のためミセス・ケインズもお連れしたほうがよろしいかと」

 嘘でしょう?
 口の端がピクピクと引きつった。

 どこまで知っているのか、クロッカーの表情に珍しく気づかいが見える。
 シーリアはクロッカーからぎこちなく目をそらした。



 シーリアとミセス・ケインズはドローイング・ルームに入った。

 ソファに座る美しい女性。ミス・バークリーの横顔を見たとき、無力な子供にもどったような気がして体がすくんだ。
 
 ミス・バークリーは隣の赤毛の男性と笑いながら戯れている。

 赤毛の男性が立ち上がり、会釈した。
 ヘイズ教授は思ったよりもずいぶん若い人だった。

「まあ、レディ・シーリア。お久しぶりね……全然変わらないわ!」

「……お久しぶりです」
 シーリアは会釈をしてティーテーブルに向かった。

 テーブルの上にはティーセットが用意されている。
 少し手間取りながらお茶を淹れると、ヘイズ教授が運ぶのを手伝ってくれた。

「ヘイズ教授がこんなにお若い方なんて、驚きましたわ」
 ミセス・ケインズが話を振った。
 へらへらと彼は笑った。

「いえ、教授は父のほうで、僕は息子です」

「え?」
 ミセス・ケインズの声が低くなった。それきり彼女は口をつぐんだ。
 
 ミス・バークリーと義理の息子は、気にせず身を寄せてささやき合っている。

 二人のやけに仲睦まじい様子に次第に吐き気がして、シーリアは目をそらした。

「──君はレディ・シーリアのガヴァネスだったんだろう?」
 ヘイズ教授の息子が言った。

「ええ、そうよ。レディ・フローレンスのついでに教えていたわ。そうでしたね、レディ・シーリア?」

 シーリアは何も答えなかった。
 構わずバークリーは昔の話を都合よく誇張して語り始めた。

「──あの夜会の日のことを覚えてらっしゃるでしょう?」

 シーリアは、血の気の引いた顔を上げた。

「思いもしない悲劇を引き起こしてしまいましたね。フォーチェスター卿の腕、あんなに美しかった人が……」

 ミス・バークリーは気遣わしげな顔を作って笑っていた。

「ねえ、あなたはご存知?」
 バークリーは今度はミセス・ケインズに話しかけた。

「何をです」
 ミセス・ケインズが硬い声で答える。

「彼がインドに行き、腕をなくした経緯よ。お可哀想に、レディ・シーリアは罪の意識に苛まれているでしょう。私ならとても一緒に暮らせないわ」

 嵐の音が遠くに感じる。
 どこか狭いところに閉じ込められた気がした。

 ミセス・ケインズに手首をつかまれてはっとした。

「行きましょう」

 シーリアは頷くこともできずに、ミセス・ケインズとドローイング・ルームを出た。



「あんな人がガヴァネスだったなんて……信じられません。真に受けてはいけませんよ」

 ミセス・ケインズは早足で歩きながら腕を離さない。
 本当のことだとは、言わないでおいた。

 廊下の向こうからネイトと本物のヘイズ教授らしき人物が歩いてくる。ミセス・ケインズが、立ち止まった。

「では……」
 ヘイズ教授が妻と息子のいるドローイング・ルームに向かった。

 じっとシーリアを見ると、ナサニエルはミセス・ケインズに目配せをした。
 ミセス・ケインズは少し視線を泳がせたあと、会釈をしてその場を去っていった。

「どうした?シーリア」
 ナサニエルが柔らかく問いかけて、首をかしげる。

 シーリアは自分の腕をつかんで爪を立てた。

 優しくしないで……

「……ミセス・ヘイズに会ったのか?驚かせてしまっただろう……」

「……どうしてあの人達を呼んだの?」
 小声で尋ねた。

 ナサニエルの直線的な頬が、何故か赤らんだ。

「ただの弔問だ」

「もう帰ってもらってもいい?あの人は……苦手なの」

「シーリア……」

 ナサニエルが一歩近づいた。空の右袖の端が胸もとにピンで留めてある。ぶらぶらと、させないためだろう。

 喉が締め付けられて、息ができなかった。

「シーリア……こんな嵐の中追い出したら、死んでしまう」

 シーリアは力なくうなずいて、ナサニエルの横をさっと通り過ぎた。

 今日は泊まるのだろう。もちろん食事も一緒に……



 シーリアがうなだれながら階段をのぼっていく。あの女に何か言われたのだろうか。
 右袖をやたらと見ていた。

 彼女の罪悪感に気づいていながら、見て見ぬふりをしている。
 繋ぎ止めるためだと、ナサニエルはふいに気づいた。

「旦那様、よろしいでしょうか」
 階段の陰からクロッカーがやってきた。

「あとにしてくれ」
 足元をじっと見つめる。

「それが、地下室に雨水が入ってきてしまいまして……」

 うなりながら顔を上げた。
「酷いのか?食料は?」

「今移動させているところですが、人手が足りず……」

「馬丁や庭師達も呼べ。あとで見に行く。今日は私達の世話よりそちらを優先してくれ」

「かしこまりました」
 クロッカーは駆け足で地下に下りて行った。
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