幼すぎた君との別れから

35話

 二人で毛布にくるまって、絨毯の上に座った。触れるのは肩だけ。隣のナサニエルを盗み見た。椅子の座面に頭を預けて、ぼんやりとしている。
 
 こんな顔もするのね……

 シーリアはその表情にたまらなく惹きつけられた。

 しばらくしてドレイクがすくっと起きた。首をかしげながらこちらを見ていたドレイクが、急に首をピンと戻す。

 ナサニエルが声を抑えて笑った。

「そうだ、ドレイク」

 ドレイクが答えるように吠える。
 シーリアは毛布で赤くなった顔を隠した。

 ドアが叩かれている。アリの声が外から聞こえた。

「来たか」

 ナサニエルはびしょ濡れのブリーチズを履いて、玄関に向かった。


 アリは一旦帰って、着替えを持ってきた。

 外でアリを待たせ、二人して服を着る。
 前ボタンのティードレスだったので、何とか一人で着ることができた。


 屋敷の前で、ミセス・ケインズとクロッカーが待っていた。

「レディ・シーリア!もう、どれだけ心配したか!」

 ミセス・ケインズが駆け寄ってきた。



 あれが、愛し合うということなのか。

 シーリアが振り返り、ナサニエルと温かく目を合わせた。ミセス・ケインズと屋敷に入って行く。
 姿が見えなくなった。

 ナサニエルは深呼吸をした。
 
 もうシーリアの肌が恋しい……

 クロッカーが静かに近づく。ナサニエルは軽くうなずいた。

「旦那様、ご無事で何よりでございます」
 
「クロッカー、心配をかけたな……屋敷の状態は?」

「地下の水は引いております。晩餐までには掃除が済むかと。それと、早朝にヘイズ教授ご一家が、ご用事ができたと出発されました」

「早朝に?」

「はい、旦那様。ずいぶんあわてたご様子で」

 逃げたか……
 ミセス・ヘイズが大人しく待っているはずもないな。
 
 シーリアが無事だった今、あの女のことを忘れかけていた。

 肩をすくめ、ゆっくりとした足取りで入り口に向かった。

 

 ミセス・ケインズと自室に入った。もう、暖炉には石炭がくべてある。

 シーリアはミセス・ケインズが差し出したショールを羽織り、暖炉に手をかざした。かじかむ指先がじわじわと温まる。

「朝食はここにお願いします」
 ミセス・ケインズが言うと、メイドはうなずいて部屋を出て行った。
 
「皆で探し回ったんですよ……」

 シーリアは暖炉に向かったまま、頭を垂れた。

「ごめんなさい……ネイトを探してたの。帰れなくなって……」

「あなたのお尻を叩けたら、どれだけスッキリすることか……」

 そんなことはされないと分かっていても、思わず腰を両手で隠した。

「せめて一声かけてくだされば……アリさんも、クロッカーさんも、誰も何も知らないでは──」

 シーリアは眉をひそめ振り返った。

「ミセス・ヘイズも?彼女も何も言わなかったの?」

「ミセス・ヘイズ?ええ、特には何も……知っていたのですか?」

「……外に行ったことは」

 ミセス・ケインズが手首を握りしめた。

「探し回る私たちを横目で見ながら……なんて酷い人なの……」

 シーリアはふと思った──あのときネイトは本当に外に出ていたのだろうか。

「あの人達は早朝に急に帰ったそうですよ……最後まで本当に非常識な方々でしたね」

 シーリアは力なく笑った。
 ミセス・ヘイズのことが、不思議なほど取るに足らない存在に思える。


 丸テーブルに着き、顔をひんやりとする大理石の天板にのせる。

 情熱をむき出しにした、あの時の彼の姿が脳裏に浮かんだ。
 なんだか、足をすくわれそう。はち切れそうな喜びをあえて抑え込む。

 顔を起こして鏡台に目を向けた。いつになく瞳がうるうるとしている。唇が赤く膨らんで、髪の毛はボサボサ。

 そわそわと、手で髪を撫でつけた。

 彼と一晩何をしていたか、気づかれてしまっただろうか。

 鏡の中でミセス・ケインズと目が合った。ずいぶん離れたところに立っている。

 ミセス・ケインズが瞼を伏せた。鏡台からブラシを取ってくると、彼女はシーリアの髪をほどき、少しずつくしけずり始めた。

 ミセス・ケインズのうつろな表情と力の無い手つき。

 シーリアは顎を引き、背中を丸めた。
 
「今日は部屋でゆっくりと過ごしましょうか……」

 後ろをギクシャクと振り向いた。
 ミセス・ケインズが眼鏡を上げて、目頭を擦る。

「旦那様は、本当に……どうなさるおつもりなんだか……」
 声を詰まらせながら、ミセス・ケインズが言った。

「ミセス・ケインズ……私、ネイトと結婚する」

「え?」
 
 ミセス・ケインズが口をポカンと開けた。
 隣の椅子に素早く座り、身を乗り出す。

「旦那様がそうお決めになったのですか?」

 シーリアは膝に両手を置き、彼を思いながら胸を張ってうなずいた。

「ロンドンに行って、特別結婚許可証をもらってくるって」

「まあ……!」

 ミセス・ケインズが口を手でおさえた。

「そうですか……」

 よろよろと立ち上がって、また座った。


 メイドが朝食を持ってきた。

「旦那様は周りの目を、ものともしないのですね……」
 ミセス・ケインズが、ぽつりとつぶやいた。
 それきり、言葉数が少なくなった。


 シーリアは温かいココアを一口飲んだ。

 ミセス・ケインズはトーストを持ったまま、食べるのも忘れてため息ばかりついている。

 少し肩が重い。

「がっかりさせた?」

「……え……何がです?」

 ミセス・ケインズが、目を丸くした。

 シーリアは首をかしげてミセス・ケインズを見つめた。

 違うの?

「……では……アリと何かあったの?」

 ミセス・ケインズがぎょっとした顔になった。

「何もありませんよ」

 あったのね……
 シーリアは眉尻を下げた。
 
「……口に出すと、気持ちが楽になるかも」

 ミセス・ケインズは唇を震わせて、顔をそらした。

「浮かれすぎているようですね、レディ・シーリア」

 シーリアは目を伏せて腕をさすった。
 この前はあんなに幸せそうだったのに。
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