幼すぎた君との別れから

44話

「レディ・シーリア?」

 シーリアはベッドから飛び起きた。ミセス・ケインズの声だった。
 隣にナサニエルは──いない。大きく息を吐き出した。

「ど、どうぞ」

 髪を撫でつけ、ベッドに座りミセス・ケインズを待つ。

 ミセス・ケインズの長い取り調べと説教が始まった。嵐の日の話まで持ち出されて、シーリアは白目をむきそうになった。

 ひとしきり言い終わり、ミセス・ケインズが肩を上げて落とす。シーリアはようやく気になっていたことを聞いた。

「ミセス・ケインズ……お姉さんはアリのことを認めてくれた?」

 上目遣いで顔色をうかがう。ミセス・ケインズが苦しげな顔で首を横に振った。

「だめでした」

「あ……え?」

 意外だった。ミセス・ケインズが生き生きとしていたから。

 シーリアは背中を丸めて、足元を見つめた。ミセス・ターナーの気持ちは分かる。牧師の妻だもの。
 アリは酷いわ。人を本気にさせて、簡単に去っていくなんて。

「それで、姉と縁を切ってきました」

 両手で顔を挟み、シーリアはミセス・ケインズを見つめた。冗談を言っているように思えない。

 ミセス・ケインズが、腕を撫でさすりながら苦笑した。

「……これでアリさんに振られたら、どうしましょうね……」

 

 着替えて朝食をとり、訪ねて来た警官とダイニング・ルームで話をした。

 途中から、ナサニエルも来て話に混ざった。
 彼女の座る椅子の肘掛けに、彼が軽く腰を下ろす。

「ミスター・フィリップ・ヘイズはレディ・ヘイズと弟さんを連れて、屋敷を出ることにしたそうですよ」
 警官が言った。

「そうですか……」
 シーリアは声を落とした。

 ヘイズ卿は一人で残されたのね。もう威張る相手もいない。

 フィリップは三万ポンドで、新しい暮らしを始めるのかしら……
 何でもできるでしょうね……

 シーリアははっとして、真横のナサニエルを見上げた。

 ナサニエルが穏やかな顔で首をかしげる。

 彼に大金を失わせてしまった……

 三万ポンド……?
 
 シーリアはしばらく魂が抜けたようになった。


「今回のことを事件にすることもできますが、どうされますか?」
 警官が尋ねた。

 またナサニエルを見上げる。
「……騒ぎにしたくないの」

 ナサニエルがうなずく。
「私もだ」
 
 シーリアはほっと胸を撫で下ろした。

「やめておきます」
 警官に明るい声で伝えた。



 午後、シーリアと庭園を歩いた。彼女のもこもこと着ぶくれた姿をひそかに愛でながら、歩調を合わせる。

 歩きながら彼女に話を聞くタイミングをずっと計っていた。

 シーリアは後ろを振り向きながら、アリとミセス・ケインズの様子をしきりに気にしている。

 ナサニエルは咳払いをして、シーリアの関心を自分に戻した。


 丘の向こうの湖に着いた。
 湖面には薄い氷が張っている。

 じっとシーリアが湖を見つめる。澄んだ横顔に見とれながらナサニエルは尋ねた。

「何を考えているんだ?」

 シーリアがにこっと笑って湖を指差した。

「あそこで泳いでいたあなたを思い出していたの」

「そうか……」

 忘れてくれればいいのに。やけに顔が火照る。



 シーリアは後ろを振り返った。

 ミセス・ケインズとアリが遅れている。
 あの話をしているのだろうか。
 
「シーリア……聞きたいことがある」

 ナサニエルはいやに真剣な顔だった。

「……私の勘当を解くために、フィリップ・ヘイズと婚約した……そうなんだな?」

 シーリアはぎくっとしてナサニエルに背中を向けた。

 やっぱりネイトに聞かれていた。
 肌がむずむずと耐えられないほど痒くなる。
 
「ずいぶん陰湿な人間だったんだな……私の父は……」
 ナサニエルが重たくつぶやく声が、背後から聞こえた。

 シーリアは首を横に振った。
 今思えば、おじ様は勘当を解く理由が欲しかっただけなのかもしれない。
 息子が腕を失って、何もしないでいられるはずがないもの……

 誇り高いおじ様には理由もなくネイトを許すことができなかったのだろう。

「おじ様はあのとき荒れてて……でもあとで自分のしたことを後悔してたと思うの。何度もフィリップとの結婚式が延期になったのも、きっと何とか食い止めようとしていたのよ」
 シーリアはひとつひとつ言葉を選びながら話した。

 ぎくしゃくと振り向く。

 ナサニエルは口を閉ざして、じっと彼女を見つめている。濡れたうつろな目つきに、胸が痛んだ。
 
「そう言われても、父が許せない……」

「おじ様は、あなたのことをすごく愛してた」

 おじ様、ごめんなさい……彼に言わない約束を守れなかった。

 ナサニエルが彼女を強く抱き締めた。骨がきしみそうだった。

「ネイト……苦しい……」
 
 ナサニエルがすぐに腕を緩める。
 彼は胸を大きく膨らませて、シーリアを見つめた。
 頼りない彼女の肩をそっとナサニエルが撫でる。

「シーリア……君は私を守ろうとしたのか?」

 シーリアは唇を噛み締めてうなずいた。

「……君は馬鹿だ」
 ひどくかすれた声で、彼はささやいた。


 ミセス・ケインズとアリの姿が見えた。

 帰り道、それとなくミセス・ケインズに近づく。

「アリさんと、結婚することになりました……」
 ミセス・ケインズが放心状態で言った。

 シーリアはミセス・ケインズの腕を掴んだ。

 少し離れた所にいるアリの弾けそうな笑顔。口元を片手で隠していても、分かった。

 よかった……

「アリと結婚しても、そばにいてくれる?」
 
「レディ・シーリア……」

 ミセス・ケインズがシーリアの両手を取った。

「結婚後は二人でインドに行こうと思います。そのほうが偏見も少ないでしょうから……」

「そんな……」

 呆然とミセス・ケインズを見つめ、目をそらした。

 また取り残されたような気がする。

「インドに遊びにきてくれますか?」
 遠慮がちにミセス・ケインズが聞いた。

 彼女の手に力がこもる。

 シーリアはうつむいて目を閉じた。何度もうなずいた。



 シーリアとナサニエルの結婚式は、クリスマスのあとに挙げることに決まった。


 結婚式まであと一週間。

 ドローイング・ルームに入って来たとたんに、フローレンスがシーリアに抱きつく。

「こうなればいいなとずっと思ってたの」
 フローレンスは涙声だった。
 

 そのあと、ナサニエルもドローイング・ルームにやってきた。

 フローレンスの子供たちにたじたじとするナサニエルが、なんだか可笑しかった。

「それにしても白いドレスもなし、参列者も私たちとミセス・ケインズだけ、こんなこそこそした結婚式あんまりじゃないの、お兄様。私のときは──」

 ナサニエルはのけぞって、言葉を失っていた。

「フロー……喪中だから仕方ないだろう?」
 アンブローズ卿がフローレンスの言葉を遮る。
 
「待てばいいじゃない」

 ナサニエルがこわばった目つきでシーリアに問いかけてくる。

 シーリアは口を軽く結んで、首を横に振った。とたんにナサニエルの顔が緩む。

「フローレンスを呼ぶんじゃなかった」
 ぼそりとナサニエルがつぶやく。

 シーリアは笑った。

 そんなに待てない。次に愛し合うのは結婚してからにしようと、二人で決めていたから。
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