幼すぎた君との別れから
45話
クリスマスの翌日は、ナサニエルと村の貧しい家にギフトを配って回った。
民家の天井からヤドリギ飾りが吊るされていた。
誰も見ていないすきに、ナサニエルが彼女にキスをする。意味ありげな顔をして。
振り返った夫人に、シーリアはあわてて砂糖と小麦の入った籠を渡した。
「……覚えてたの?」
夫人とその子供に見送られながらシーリアはつぶやいた。
あのときまったく相手にされなかった酸っぱい想いが、やっと報われた気がする。
「真っ赤な顔でキスをねだる十三歳の君のことかい?」
前を見ながら、ナサニエルは含み笑いをしている。
顔が熱くなる。次第に腹が立ってきた。
明日は式だというのに……
結婚式の当日、メイド二人がかりで着替える。ドレスは濃いグレー、装飾品やベールは無し。
そんなシーリアの姿にミセス・ケインズは少し悲しげで、フローレンスは小言を言い続けていた。
けれどもシーリアは何の不満もなかった。
ドローイング・ルームは家具が片付けられて、別の部屋のよう。
ミセス・ケインズ、フローレンスとアンブローズ卿、すでにみんな集まっている。ムスリムのアリは離れたところに控えていた。
シーリアは牧師の前で待つナサニエルのもとに向かった。
ネイトの妻になろうとしている。信じられない……
ナサニエルがよく通る声で結婚の誓いを立て、シーリアも震える声で続く。
彼がシーリアの指に金の指輪をはめた。
牧師が二人が夫婦になったことを宣言した。
いつの間に指輪を用意したのだろう。少しサイズが大きかった。
ナサニエルを見つめた。 灰色の瞳がきらきらと輝いている。いつもとそう変わらないフロックコート姿なのに、堂々としてより大きく感じた。
唇をじっと見られて、恍惚としながら目を閉じた。
彼がキスをする。
周りから優しい拍手が聞こえた。
その日の晩餐はいつもより豪華で、牛フィレ肉にフォアグラやトリュフが載っていた。なのにナサニエルは食欲が湧かなかった。
食事なんてどうでもよかった。
早く彼女と愛を確かめ合いたい。
美味しそうに食べる妻の姿を、ワインを飲みながら据わった目で眺める。
グラスを空にしてハッとした。少し控えよう。今晩は、特別な夜にしたかった。
今のところ毎回特別ではあったが……
思い出して、身体が一瞬震えた。
何か理由をつけて、シーリアを寝室に連れ去ってしまおうか……
シーリアの焦げ茶色のイブニングドレスを見て、顔をしかめる。
あのボタンだらけのドレスや、その下のいくつもの下着をうまく脱がせることができるだろうか。
手間取るところをシーリアに見せたくない。
やはり、ナイトドレスに着替えるまで待とう……
やたらと晩餐を長く感じた。
以前の父の部屋は家具を入れ替えて、夫婦の寝室になった。
ナサニエルはインドから持ち帰ったパジャマを着てベッドに座り、ドレッシング・ルームとの仕切りのドアを見つめた。
シーリアはもう着替え終わるころだろうか。
物音に耳を澄ませる。
ドレッシング・ルームのドアが開いた。メイドが部屋を出ていき、シーリアが少しずつ、恥ずかしそうに歩いてくる。
ナサニエルは背を伸ばし、パジャマをなでつけながら彼女を待った。
隣に座ったシーリアが、薬指の結婚指輪を回している。
「……大き過ぎたな。サイズを直してもらおう」
喉に絡まった声が出た。
「いつの間に準備していたの?」
ナサニエルは少しためらったあと、答えた。
「この前ロンドンに行ったときだ」
思わず鼻の頭を掻く。
指輪はインドのボンベイで買った。シーリアに手紙と船のチケットを送った頃──もう二年以上前になるのか……
取るに足らない話を二人でぽつぽつと話した。
シーリアの声がかすれてくる。
次第に気持ちが昂って、ナサニエルは話すことができなくなった。
シーリアが、落ち着かなそうにもじもじと足元を動かしていた。
彼女の足から花の刺繍のスリッパを脱がせ、ベッドに横たえる。
三度目なのに照れるシーリアをおかしく思いながらも、自分も初めてのような気持ちだった。
ナサニエルはシーリアの恥じらいを少しずつほぐした。
たっぷりと時間をかけて、無言で愛を伝える。
熱いキスをして、彼女の顔を見つめながらひとつになった。
ナサニエルは深い吐息を漏らした。
動きを限界まで堪えて、二人の一体感に浸る。
シーリアがナサニエルの肩を噛んで急かした。
荒い呼吸がぴったりと重なった。
「シーリア、愛してる……」
シーリアは、熱中して何も聞こえていないようだった。
彼女の体が絶頂に震えた。むき出しにされた白い喉が汗で光る。
ナサニエルは自制心を失い、一心不乱にシーリアのあとを追った。シーリアに抱きしめられながら、眩い世界に迎えられた。
1888年、イングランド
馬車を降り屋敷に入ると、シーリアは玄関ホールをキョロキョロと見回した。
クロッカーがホールの向こうから歩いてくる。
「お帰りなさいませ、奥様」
「クロッカー、ネイトを知らない?」
「旦那様でしたら先ほど犬舎に向かわれました、奥様」
クロッカーにうなずいて、玄関を出た。
玄関ポーチを下りて、青々とした芝生の上で彼を待つ。
伝えたい話があった。
もうそろそろシーリアは帰ってきているだろう。
ナサニエルはクンクンと鳴く子犬を胸に抱き、屋敷に向かった。
しきりに指を噛んでくる子犬に悪態をつく。
「シーリアを噛むなよ、お前はただ可愛くしていればいいんだ」
犬舎で子犬達を見て、シーリアのところに連れて行こうと思った。
娘のグレースが生まれた日に亡くなってから、シーリアは元気が無いまま。
私のせいだと泣くことはなくなったが、二年経っても彼女の笑顔は本物ではない……
シーリアが屋敷の前に立っていた。
今日もまた、あてもなく馬車に乗っていたのだろうか。
華奢な背中を眺める。
もちろんグレースのことは、ナサニエルも苦しんだ。
そういう運命だったのだと今は割り切る。
シーリアは違った。もういい加減にしてくれと、怒鳴りたくなるときもあった。
今度のインド旅行は彼女を癒してくれるだろうか……
「シーリア!」
シーリアが振り向いた。子犬を見て、彼女の頬が緩む。ナサニエルの胸が激しく締め付けられた。
「この子犬はどうしたの?」
「先月生まれたうちの一匹だ。ドレイクのひ孫……玄孫かな……?もう分からない」
なぜだろう。シーリアの表情が少し明るい。チラチラと彼女を盗み見る。
シーリアが両手を伸ばして子犬を抱き上げた。
「気をつけて。こいつはやたらと噛むんだ」
子犬はシーリアの胸に抱かれ、今までとはうって変わってリラックスしている。
子犬を見下ろして撫でながら、シーリアがつぶやいた。
「ネイト……子供ができたみたい」
ナサニエルは息を止めた。
シーリアに近づき、彼女のお腹にそっと手を当てる。
「診療所に行ってきたの」
シーリアが言った。
「……どれくらい?」
「まだできたばかりよ……だから、多分なの……」
ナサニエルは手を当てたまま目を閉じた。手のひらに伝わる不思議な熱に、間違いないと信じる。
神よ……どうかこの子をお守りください
目を開けてシーリアにキスをする。
心もとなく見上げてくるシーリアを、子犬ごと抱きしめた。
「女の子だったら……グレースにしようか?」
シーリアがかぶりを振る。
「グレースはあの子だけの名前にしたいの……」
「……そうか」
言ってみたものの、ナサニエルも同感だった。
犬の鳴き声が後ろから聞こえる。そちらに体を向けた。
ヒューとサイモンがそれぞれ一匹ずつポインターを引き連れてやってくる。
狩猟番が深くうなずきながら、その後ろについていた。
二人の息子は幼いながらも、もう犬達の信頼を勝ち取っているようだ。
「インド旅行は延期だな」
「ミセス・ケインズに謝らないと……」
「ミセス・サイイドだろう……」
「あ、そうだったわ」
シーリアがまた笑った。
ナサニエルの体に温もりが満ち溢れる。
久しぶりに、世界の全てに感謝したくなった。
「インド旅行が延期になって、ヒューとサイモンは悲しむかしら……」
シーリアが子犬を撫でながら眉をひそめた。
「どうだろう……サイモンは少し喚きそうだな。ヒューはまた妹ができると、喜んでくれるんだろう」
シーリアの背中に手を当てる。二人寄り添いながら息子達のところへ向かった。
民家の天井からヤドリギ飾りが吊るされていた。
誰も見ていないすきに、ナサニエルが彼女にキスをする。意味ありげな顔をして。
振り返った夫人に、シーリアはあわてて砂糖と小麦の入った籠を渡した。
「……覚えてたの?」
夫人とその子供に見送られながらシーリアはつぶやいた。
あのときまったく相手にされなかった酸っぱい想いが、やっと報われた気がする。
「真っ赤な顔でキスをねだる十三歳の君のことかい?」
前を見ながら、ナサニエルは含み笑いをしている。
顔が熱くなる。次第に腹が立ってきた。
明日は式だというのに……
結婚式の当日、メイド二人がかりで着替える。ドレスは濃いグレー、装飾品やベールは無し。
そんなシーリアの姿にミセス・ケインズは少し悲しげで、フローレンスは小言を言い続けていた。
けれどもシーリアは何の不満もなかった。
ドローイング・ルームは家具が片付けられて、別の部屋のよう。
ミセス・ケインズ、フローレンスとアンブローズ卿、すでにみんな集まっている。ムスリムのアリは離れたところに控えていた。
シーリアは牧師の前で待つナサニエルのもとに向かった。
ネイトの妻になろうとしている。信じられない……
ナサニエルがよく通る声で結婚の誓いを立て、シーリアも震える声で続く。
彼がシーリアの指に金の指輪をはめた。
牧師が二人が夫婦になったことを宣言した。
いつの間に指輪を用意したのだろう。少しサイズが大きかった。
ナサニエルを見つめた。 灰色の瞳がきらきらと輝いている。いつもとそう変わらないフロックコート姿なのに、堂々としてより大きく感じた。
唇をじっと見られて、恍惚としながら目を閉じた。
彼がキスをする。
周りから優しい拍手が聞こえた。
その日の晩餐はいつもより豪華で、牛フィレ肉にフォアグラやトリュフが載っていた。なのにナサニエルは食欲が湧かなかった。
食事なんてどうでもよかった。
早く彼女と愛を確かめ合いたい。
美味しそうに食べる妻の姿を、ワインを飲みながら据わった目で眺める。
グラスを空にしてハッとした。少し控えよう。今晩は、特別な夜にしたかった。
今のところ毎回特別ではあったが……
思い出して、身体が一瞬震えた。
何か理由をつけて、シーリアを寝室に連れ去ってしまおうか……
シーリアの焦げ茶色のイブニングドレスを見て、顔をしかめる。
あのボタンだらけのドレスや、その下のいくつもの下着をうまく脱がせることができるだろうか。
手間取るところをシーリアに見せたくない。
やはり、ナイトドレスに着替えるまで待とう……
やたらと晩餐を長く感じた。
以前の父の部屋は家具を入れ替えて、夫婦の寝室になった。
ナサニエルはインドから持ち帰ったパジャマを着てベッドに座り、ドレッシング・ルームとの仕切りのドアを見つめた。
シーリアはもう着替え終わるころだろうか。
物音に耳を澄ませる。
ドレッシング・ルームのドアが開いた。メイドが部屋を出ていき、シーリアが少しずつ、恥ずかしそうに歩いてくる。
ナサニエルは背を伸ばし、パジャマをなでつけながら彼女を待った。
隣に座ったシーリアが、薬指の結婚指輪を回している。
「……大き過ぎたな。サイズを直してもらおう」
喉に絡まった声が出た。
「いつの間に準備していたの?」
ナサニエルは少しためらったあと、答えた。
「この前ロンドンに行ったときだ」
思わず鼻の頭を掻く。
指輪はインドのボンベイで買った。シーリアに手紙と船のチケットを送った頃──もう二年以上前になるのか……
取るに足らない話を二人でぽつぽつと話した。
シーリアの声がかすれてくる。
次第に気持ちが昂って、ナサニエルは話すことができなくなった。
シーリアが、落ち着かなそうにもじもじと足元を動かしていた。
彼女の足から花の刺繍のスリッパを脱がせ、ベッドに横たえる。
三度目なのに照れるシーリアをおかしく思いながらも、自分も初めてのような気持ちだった。
ナサニエルはシーリアの恥じらいを少しずつほぐした。
たっぷりと時間をかけて、無言で愛を伝える。
熱いキスをして、彼女の顔を見つめながらひとつになった。
ナサニエルは深い吐息を漏らした。
動きを限界まで堪えて、二人の一体感に浸る。
シーリアがナサニエルの肩を噛んで急かした。
荒い呼吸がぴったりと重なった。
「シーリア、愛してる……」
シーリアは、熱中して何も聞こえていないようだった。
彼女の体が絶頂に震えた。むき出しにされた白い喉が汗で光る。
ナサニエルは自制心を失い、一心不乱にシーリアのあとを追った。シーリアに抱きしめられながら、眩い世界に迎えられた。
1888年、イングランド
馬車を降り屋敷に入ると、シーリアは玄関ホールをキョロキョロと見回した。
クロッカーがホールの向こうから歩いてくる。
「お帰りなさいませ、奥様」
「クロッカー、ネイトを知らない?」
「旦那様でしたら先ほど犬舎に向かわれました、奥様」
クロッカーにうなずいて、玄関を出た。
玄関ポーチを下りて、青々とした芝生の上で彼を待つ。
伝えたい話があった。
もうそろそろシーリアは帰ってきているだろう。
ナサニエルはクンクンと鳴く子犬を胸に抱き、屋敷に向かった。
しきりに指を噛んでくる子犬に悪態をつく。
「シーリアを噛むなよ、お前はただ可愛くしていればいいんだ」
犬舎で子犬達を見て、シーリアのところに連れて行こうと思った。
娘のグレースが生まれた日に亡くなってから、シーリアは元気が無いまま。
私のせいだと泣くことはなくなったが、二年経っても彼女の笑顔は本物ではない……
シーリアが屋敷の前に立っていた。
今日もまた、あてもなく馬車に乗っていたのだろうか。
華奢な背中を眺める。
もちろんグレースのことは、ナサニエルも苦しんだ。
そういう運命だったのだと今は割り切る。
シーリアは違った。もういい加減にしてくれと、怒鳴りたくなるときもあった。
今度のインド旅行は彼女を癒してくれるだろうか……
「シーリア!」
シーリアが振り向いた。子犬を見て、彼女の頬が緩む。ナサニエルの胸が激しく締め付けられた。
「この子犬はどうしたの?」
「先月生まれたうちの一匹だ。ドレイクのひ孫……玄孫かな……?もう分からない」
なぜだろう。シーリアの表情が少し明るい。チラチラと彼女を盗み見る。
シーリアが両手を伸ばして子犬を抱き上げた。
「気をつけて。こいつはやたらと噛むんだ」
子犬はシーリアの胸に抱かれ、今までとはうって変わってリラックスしている。
子犬を見下ろして撫でながら、シーリアがつぶやいた。
「ネイト……子供ができたみたい」
ナサニエルは息を止めた。
シーリアに近づき、彼女のお腹にそっと手を当てる。
「診療所に行ってきたの」
シーリアが言った。
「……どれくらい?」
「まだできたばかりよ……だから、多分なの……」
ナサニエルは手を当てたまま目を閉じた。手のひらに伝わる不思議な熱に、間違いないと信じる。
神よ……どうかこの子をお守りください
目を開けてシーリアにキスをする。
心もとなく見上げてくるシーリアを、子犬ごと抱きしめた。
「女の子だったら……グレースにしようか?」
シーリアがかぶりを振る。
「グレースはあの子だけの名前にしたいの……」
「……そうか」
言ってみたものの、ナサニエルも同感だった。
犬の鳴き声が後ろから聞こえる。そちらに体を向けた。
ヒューとサイモンがそれぞれ一匹ずつポインターを引き連れてやってくる。
狩猟番が深くうなずきながら、その後ろについていた。
二人の息子は幼いながらも、もう犬達の信頼を勝ち取っているようだ。
「インド旅行は延期だな」
「ミセス・ケインズに謝らないと……」
「ミセス・サイイドだろう……」
「あ、そうだったわ」
シーリアがまた笑った。
ナサニエルの体に温もりが満ち溢れる。
久しぶりに、世界の全てに感謝したくなった。
「インド旅行が延期になって、ヒューとサイモンは悲しむかしら……」
シーリアが子犬を撫でながら眉をひそめた。
「どうだろう……サイモンは少し喚きそうだな。ヒューはまた妹ができると、喜んでくれるんだろう」
シーリアの背中に手を当てる。二人寄り添いながら息子達のところへ向かった。