幼すぎた君との別れから

7話

1877年、イングランド


 学習室の窓越しに見える、雪をかぶったフォーチェスター・ホールの庭園。

 静かに、絶え間なく粉雪が降り続けている。

「寒くなりましたね」

 メイドはそう言いながら、火のついた暖炉に石炭を足した。

「ええ、本当に」

 シーリアは刺繍をする手を止めて、冷え切った指先を息で温めた。

「次に時計が鳴ったら、温かいお茶で休憩をしましょう」

 テーブルを挟んだ向かいに座るミセス・ケインズが布に針を刺しながら言った。


 ナサニエルが出ていったあの日から、六ヶ月が過ぎた。

 ミス・バークリーはあの日を境に姿を消した。

 きっと伯爵から口止め料をもらって出ていったのだろう。


 いつ追い出されるのだろうと身構えていた日々。
 ジェントリの若い未亡人・ミセス・ケインズが新たに自分の家庭教師に雇われたことで、シーリアはしばらくはここにいられることを悟った。

 ナサニエルが、伯爵を説得してくれたのかもしれない。
 そんなことを考えていると、また涙が出そうになる。

 シーリアは顔を少し上げて、まばたきを我慢した。

 今も彼に焦がれている。
 日に日に想いは増すばかりだった。

 オールダーショット──彼のいる駐屯地にも、今頃雪が降っているのだろうか。
 


六月

 ロンドンの教会で挙げられた、フローレンスの結婚式。 

 その日、教会にナサニエルは現れなかった。

 期待しないようにしていても、少しこたえた。



 厳かなパイプオルガンの演奏。

 伯爵の腕に手を添え、幸せそうにアンブローズ卿に向かって歩くフローレンス。参列者席にいるシーリアを見るときだけ、彼女の表情に少し陰りが差した。


 あの日の話は、彼女には話していない。けれど、ナサニエルが勘当された件にシーリアが関わっていることは、察しているか──聞いているようだった。

 

 デ・レイシー家のロンドンのタウンハウスで開かれた、式の後の昼食会。
 ハネムーンに向かうフローレンスとアンブローズ卿が静かに席を立った。

 
 シーリアは馬車に向かうフローレンス達を、ライスシャワーで祝福した。

 フローレンスが急に立ち止まり、シーリアのもとに小走りでやってきた。

「シーリア、やっぱりあなたに伏せておけない」

 フローレンスのやけに真剣な表情。シーリアの背中に悪寒が走った。

「……お兄様が、インドに行ってしまったの」

 シーリアはしばらく身動きが取れなかった。

「……な……なんで」

「……お金がなくなったみたい。インドに駐留する連隊に移ったら、手当が多く出るから……」

「フロー!」
 アンブローズ卿が、もどかしそうにフローレンスを呼んだ。

 フローレンスはシーリアの肩を軽く叩くと、馬車に乗りハネムーンに旅立っていった。



「軽騎兵隊の若い将校なんていうものは、稼ぎにならん──大概どいつもこいつも親の脛かじりだ」

 立ちすくむ彼女のもとに、いつの間にか伯爵が来ていた。

「必要な付き合いに、とにかく金がかかる」

 シーリアは虚ろな目で、背の高い伯爵を見上げた。

「知らなかっただろう。あいつもそんなもんだ……これからは自分で何とかするしかないがな」

 伯爵が鼻先で笑った。

 何が面白いんだろう……

 
 目の前がだんだん暗くなる。
 彼はあの時から、こうなる覚悟をしていたの?
 いつ、帰ってこれるの……?


「……おじ様が軍人だったときも、自分で何とかされたのですか?」
 かすれた声で、皮肉を小さくつぶやく。
 
 伯爵が凄むように目を細めた。

「あれは偽りだったとさっさと認めれば、許してやったものを──」

 伯爵はタウンハウスに戻って行った。



 翌日、ミセス・ケインズと列車に乗りフォーチェスター・ホールに戻った。



「ミセス・ケインズ……インドに行くには何日ぐらいかかるの?」

 シーリアは学習室の壁にもたれながら、地球儀をぼんやりと見つめた。

 テーブルの上の本を片付けていたミセス・ケインズが眼鏡を中指で押し上げた。

「まあ、勉強熱心ですね、レディ・シーリア。聞いた話では、船でひと月ほどでボンベイまで行けるそうですよ。お金があれば、ですけどね」

「……いくらかかるの?」
 かすれた声で尋ねる。

「さあ……五十ポンドはいるでしょうね……」

 シーリアは肩をすぼめた。

 父の遺してくれた遺産は、結婚するか、成人する二十一歳になるまで自由にできない。



 シーリアは犬舎からドレイクを連れ出して、庭園を歩いた。

 芝生の丘を越えた向こうの窪地にある、大きな湖。

 湖畔に座ったシーリアの膝に、ドレイクが頭を乗せて、彼女の顔を見上げた。


 ナサニエルのいた湖は陽射しにきらきらと輝いて、静まりかえっている。

 シーリアのぼやけた視界に、あの日の美しかった彼の幻が見えた。
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