あえかなる君へ 心からの愛を
「おはよう、柊。お疲れ」
オフィスでパソコンをいじりながら夜を明かし、七時過ぎになったところで君島が紗理奈と一緒に出社して来た。
「おはようございます。早いですね、君島さんも紗理奈さんも」
「まあ、気になってな。けどリリース、何も問題なかったみたいだな」
「はい、おかげさまで」
「よくやってくれたよ」
君島の隣で紗理奈も「ありがとう」と微笑む。
「柊くんなら安心して任せられるって彼と話してたの。これまでの準備も含めて本当にありがとね」
「いいえ、皆さんのご協力のおかげです」
「とにかく大きな山場を越えられてホッとしたわ。そう言えば、乙葉ちゃんは?」
「ああ、まだ仮眠室で寝てると思います。紗理奈さん、今日のあいつの出勤時間、遅らせてもらえませんか?」
「それはもちろん。柊くんは?」
「俺はいつも通りで大丈夫です」
でも……と呟いた紗理奈は、何かを考える素振りのあと、真剣に顔を上げた。
「ねえ、柊くん。ちょっと話をしてもいい?」
「え? はい、もちろん」
なんだろうと首をひねりつつ、三人でオフィスの一角のソファに向き合って座った。
「実は、乙葉ちゃんのことなんだけど」
言葉を選ぶように紗理奈が切り出す。
「あいつがどうかしましたか?」
「うん、ちょっと心配なの。私、来年の三月いっぱいで産休に入ることになってね」
さんきゅう……?と口にし、君島と紗理奈の穏やかな表情を交互に見てからハッとした。
「産休ですか、おめでとうございます」
「ありがとう。このことはまだ乙葉ちゃんにしか話してなくて、柊くんが二人目。彼からいつも柊くんのことを聞かされて、私も柊くんならって信頼してる。それでね、私が抜けたあとの乙葉ちゃんのこと、柊くんにどうしてもお願いしたくて。どうか乙葉ちゃんを助けてあげてくれる?」
「それは、どういうことでしょう。部署も違うし、自分にできることなんて……」
「具体的な仕事のことではないの。あ、もちろんそれもあるけど、もっとこう、精神面というか、悩みを聞いてあげたりとか」
ますますわけがわからない。
乙葉に悩みを打ち明けられたこともなければ、何かを相談されたことも今までなかった。
「あの、あいつは俺を頼ったりとかはしないと思いますが……」
すると紗理奈はちょっとうらめしそうに、上目遣いで唇をとがらせた。
「柊くん、気が利かなすぎ! そりゃあ乙葉ちゃんはバリバリ仕事をこなすわよ。性格もさっぱりしてるし、強くてしなやかな女性。でもね、女の子は誰だって本当はか弱くて寂しがりな一面があるの。それを誰も気づいてくれない。一番近くにいる柊くんでさえ」
「いや、自分は別に一番近くには……」
「じゃあ柊くん、乙葉ちゃんの意外な一面って覚えがない? いつもピンと背筋を伸ばして颯爽と仕事に向き合ってる乙葉ちゃんしか知らない?」
それは……と柊は言葉に詰まる。
雷を怖がってすがりついてきたり、両手を腰に当ててプンプン怒ったり、「オラウータンのラスボス?」と明るく笑う乙葉の顔が目に浮かんだ。
「ね? 柊くんは知ってるでしょ? 乙葉ちゃんのたくさんの素顔。だから柊くんにしか頼めないの。柊くん、どうして乙葉ちゃんが恋人を作らないかわかる?」
「いえ、わからないです。本人に訊いても答えてくれなくて」
「そうよね。でも私は乙葉ちゃんには心から気を許せる人がそばにいてあげてほしいと思ってるの。乙葉ちゃん、仕事ができるがゆえに、周りの人から敬遠されてしまっているから」
何を言われたのか一瞬理解が追いつかなかった。
「あいつが、敬遠されている?」
「そう。乙葉ちゃんはまだ二十五歳なのに、既に私と同等の仕事をこなしてる。もちろんそれは本人の努力のたまものよ。だけどどうしてもやっかまれたり、気軽にみんなの雑談の輪に入ることができなくなってしまった。そのうちにまるで本心を隠すように、表情が硬くなってしまったの。乙葉ちゃん、本当はとっても楽しそうに笑ったり明るくおしゃべりする子なのに」
そう言って紗理奈は寂しそうにため息をつく。
「どうにかしてあげたくても、私ではどうしようもなくてね。うちって大きな企業じゃない? 学歴もプライドもうんと高い人が集まってるの。下手に私が乙葉ちゃんをかばったら、それこそまた乙葉ちゃんが集中砲火を浴びるかもしれない。だから乙葉ちゃんに対しても他の子と同じように接するしかなかった。恋人ができてその人が心の支えになってくれたらって願ってたけど、乙葉ちゃん、自分から恋愛する気もなければ告白されても断ってばかり。理由はわかる?」
「いえ、わからないです」
「もうこれ以上、誰かに少しでも疎まれるのが耐えられないからよ」
柊は思わず顔を上げて紗理奈と視線を合わせた。
紗理奈はゆっくりと頷いてみせる。
「営業成績トップの人や、かっこよくて女の子に人気がある人、色んな人が乙葉ちゃんに告白した。だけど乙葉ちゃんは決まって頑なに断るの。どうしてなのかって、私に理由を訊いてくる人もいたわ。もちろん私の口から言えることなんて何もない。それが余計に辛くてね。来年の三月までは私もそばで見守っていられる。でもそのあとは誰が頼りになるかって考えたら、柊くんしか思い浮かばなかったの。お願い、柊くん。どうか乙葉ちゃんを支えてあげて。お願いします」
紗理奈に頭を下げられて柊は焦った。
「紗理奈さん、俺なんかにそんな。俺でできることなら何でもしますから」
「本当?」
紗理奈はパッと顔を上げて明るい笑みを浮かべる。
「はい。でも大したことはできないと思います。それでなくても俺、もともと気が利かなくて女の子に愛想尽かされるタイプだし」
「それは想像つく……あ、ごめんなさい。でも乙葉ちゃんに関しては柊くんしかいないと思うの。それだけは覚えておいて」
「ですが……」
自分にできることなんて何もないし、なんなら逆に引っ込んでおいた方がいいだろうとさえ思ったが、紗理奈にここまで言われては仕方ない。
紗理奈の隣で君島にも真剣に頷かれ、柊は「わかりました」と返事をした。
オフィスでパソコンをいじりながら夜を明かし、七時過ぎになったところで君島が紗理奈と一緒に出社して来た。
「おはようございます。早いですね、君島さんも紗理奈さんも」
「まあ、気になってな。けどリリース、何も問題なかったみたいだな」
「はい、おかげさまで」
「よくやってくれたよ」
君島の隣で紗理奈も「ありがとう」と微笑む。
「柊くんなら安心して任せられるって彼と話してたの。これまでの準備も含めて本当にありがとね」
「いいえ、皆さんのご協力のおかげです」
「とにかく大きな山場を越えられてホッとしたわ。そう言えば、乙葉ちゃんは?」
「ああ、まだ仮眠室で寝てると思います。紗理奈さん、今日のあいつの出勤時間、遅らせてもらえませんか?」
「それはもちろん。柊くんは?」
「俺はいつも通りで大丈夫です」
でも……と呟いた紗理奈は、何かを考える素振りのあと、真剣に顔を上げた。
「ねえ、柊くん。ちょっと話をしてもいい?」
「え? はい、もちろん」
なんだろうと首をひねりつつ、三人でオフィスの一角のソファに向き合って座った。
「実は、乙葉ちゃんのことなんだけど」
言葉を選ぶように紗理奈が切り出す。
「あいつがどうかしましたか?」
「うん、ちょっと心配なの。私、来年の三月いっぱいで産休に入ることになってね」
さんきゅう……?と口にし、君島と紗理奈の穏やかな表情を交互に見てからハッとした。
「産休ですか、おめでとうございます」
「ありがとう。このことはまだ乙葉ちゃんにしか話してなくて、柊くんが二人目。彼からいつも柊くんのことを聞かされて、私も柊くんならって信頼してる。それでね、私が抜けたあとの乙葉ちゃんのこと、柊くんにどうしてもお願いしたくて。どうか乙葉ちゃんを助けてあげてくれる?」
「それは、どういうことでしょう。部署も違うし、自分にできることなんて……」
「具体的な仕事のことではないの。あ、もちろんそれもあるけど、もっとこう、精神面というか、悩みを聞いてあげたりとか」
ますますわけがわからない。
乙葉に悩みを打ち明けられたこともなければ、何かを相談されたことも今までなかった。
「あの、あいつは俺を頼ったりとかはしないと思いますが……」
すると紗理奈はちょっとうらめしそうに、上目遣いで唇をとがらせた。
「柊くん、気が利かなすぎ! そりゃあ乙葉ちゃんはバリバリ仕事をこなすわよ。性格もさっぱりしてるし、強くてしなやかな女性。でもね、女の子は誰だって本当はか弱くて寂しがりな一面があるの。それを誰も気づいてくれない。一番近くにいる柊くんでさえ」
「いや、自分は別に一番近くには……」
「じゃあ柊くん、乙葉ちゃんの意外な一面って覚えがない? いつもピンと背筋を伸ばして颯爽と仕事に向き合ってる乙葉ちゃんしか知らない?」
それは……と柊は言葉に詰まる。
雷を怖がってすがりついてきたり、両手を腰に当ててプンプン怒ったり、「オラウータンのラスボス?」と明るく笑う乙葉の顔が目に浮かんだ。
「ね? 柊くんは知ってるでしょ? 乙葉ちゃんのたくさんの素顔。だから柊くんにしか頼めないの。柊くん、どうして乙葉ちゃんが恋人を作らないかわかる?」
「いえ、わからないです。本人に訊いても答えてくれなくて」
「そうよね。でも私は乙葉ちゃんには心から気を許せる人がそばにいてあげてほしいと思ってるの。乙葉ちゃん、仕事ができるがゆえに、周りの人から敬遠されてしまっているから」
何を言われたのか一瞬理解が追いつかなかった。
「あいつが、敬遠されている?」
「そう。乙葉ちゃんはまだ二十五歳なのに、既に私と同等の仕事をこなしてる。もちろんそれは本人の努力のたまものよ。だけどどうしてもやっかまれたり、気軽にみんなの雑談の輪に入ることができなくなってしまった。そのうちにまるで本心を隠すように、表情が硬くなってしまったの。乙葉ちゃん、本当はとっても楽しそうに笑ったり明るくおしゃべりする子なのに」
そう言って紗理奈は寂しそうにため息をつく。
「どうにかしてあげたくても、私ではどうしようもなくてね。うちって大きな企業じゃない? 学歴もプライドもうんと高い人が集まってるの。下手に私が乙葉ちゃんをかばったら、それこそまた乙葉ちゃんが集中砲火を浴びるかもしれない。だから乙葉ちゃんに対しても他の子と同じように接するしかなかった。恋人ができてその人が心の支えになってくれたらって願ってたけど、乙葉ちゃん、自分から恋愛する気もなければ告白されても断ってばかり。理由はわかる?」
「いえ、わからないです」
「もうこれ以上、誰かに少しでも疎まれるのが耐えられないからよ」
柊は思わず顔を上げて紗理奈と視線を合わせた。
紗理奈はゆっくりと頷いてみせる。
「営業成績トップの人や、かっこよくて女の子に人気がある人、色んな人が乙葉ちゃんに告白した。だけど乙葉ちゃんは決まって頑なに断るの。どうしてなのかって、私に理由を訊いてくる人もいたわ。もちろん私の口から言えることなんて何もない。それが余計に辛くてね。来年の三月までは私もそばで見守っていられる。でもそのあとは誰が頼りになるかって考えたら、柊くんしか思い浮かばなかったの。お願い、柊くん。どうか乙葉ちゃんを支えてあげて。お願いします」
紗理奈に頭を下げられて柊は焦った。
「紗理奈さん、俺なんかにそんな。俺でできることなら何でもしますから」
「本当?」
紗理奈はパッと顔を上げて明るい笑みを浮かべる。
「はい。でも大したことはできないと思います。それでなくても俺、もともと気が利かなくて女の子に愛想尽かされるタイプだし」
「それは想像つく……あ、ごめんなさい。でも乙葉ちゃんに関しては柊くんしかいないと思うの。それだけは覚えておいて」
「ですが……」
自分にできることなんて何もないし、なんなら逆に引っ込んでおいた方がいいだろうとさえ思ったが、紗理奈にここまで言われては仕方ない。
紗理奈の隣で君島にも真剣に頷かれ、柊は「わかりました」と返事をした。