あえかなる君へ 心からの愛を
「なんだか森住からは想像つかない本格的な料亭だね」

連れられて向かったのは、オフィス街から離れた静かな裏路地にある料亭だった。
案内された個室で、乙葉はヒノキの香りに包まれた和の趣に感嘆のため息をつく。

「すてきね、別世界に来たみたい」
「あーみゃちゃんとはまた別のな」
「ふふ、そうね。森住、よくここに来るの?」
「いや。前に君島さんが取引先の人の接待に使ってたのに同席したんだ。俺一人じゃ来られないよ」
「そうなんだ。連れて来てくれてありがとう」

すると柊は一瞬驚いたような表情を浮かべてから、ふいと視線をそらした。

「アルコール、飲むか?」
「うーん、少しだけ飲もうかな。せっかくこんなにすてきなところに来たんだから」
「じゃあ日本酒にするか。甘口で飲みやすいもの」
「うん、お願い」

柊がお酒とコース料理をオーダーし、仲居さんが退室する。
二人きりになった静かな和室で、乙葉は窓からの景色に目を向けた。
小さいながらも池や緑、花々が美しい日本庭園があり、思わずうっとりと見とれる。

「きれいね、まるで日本画みたい。都会の真ん中にこんなところがあるなんて」

しばし言葉もなく見つめていると、ふと柊の視線を感じて振り返る。

「どうかした?」
「いや」

短く答えて柊はうつむく。

「何か心配ごと? 仕事のこととか」
「そうじゃない」

いつもとは違う思い詰めた柊の表情に、乙葉は心配になった。

「ねえ、本当にどうかしたの?」
「……俺、堀井に言わなきゃいけないことがある」
「えっ?」

何事かと乙葉は身構えた。
柊は姿勢を正すとスッと顔を上げ、乙葉と真っ直ぐに視線を合わせる。

「堀井、ごめん。今まで俺、堀井に酷いことばかりしてきた」
「え、ちょっと、どうしたの? 何の話?」
「気が利かないどころか、堀井を傷つけるようなことを平気で口にしてた。本当にごめん」

膝に両手を置いて頭を下げる柊に、乙葉は慌てて手を差し出した。

「ねえ、そんなことしなくていいから。私、何も心当たりがないよ? 森住に酷いことされたとか、傷つけられたなんて思ったことない」

視線を上げて問うように見つめてくる柊に、乙葉は頷いてみせる。

「本当に何も思い当たらない。それどころか、森住にはいつも助けられてる。私、同期の友だちとはもう連絡取らなくなった子がほとんどで、森住としか関わりないの。だから感謝の気持ちでいっぱい。私の方こそ、いつもありがとうって言いたかったの」
「堀井……」
「ごめんね、森住は何か私とのことで嫌なことがあったんだね。気づけなくてごめん。でも何でも話して? 私、悪かったのならきちんと謝りたいから」
「何言ってんだ、悪いのは俺なのに」
「だけど気に障ることがあったんでしょう? 私が何かしてしまって……」
「違う!」

急に鋭い声で言われて乙葉は息を呑む。

「ごめん。でも本当に堀井は悪くないんだ。俺が堀井に甘えすぎて配慮が足りなかった。堀井なら何を言っても許してくれる、どんなことでも笑って受け流してくれる、そんなふうに軽んじてしまった自分を心から恥じている。本当に悪かった」
「森住……」

乙葉は頭の中で考えを巡らせる。
思い当たるのは、ホテルで同室になったことと会社の仮眠室でのことくらいだった。

「森住、あのね。確かに私、怒ったことあるけど、それはその時の気持ちを素直に言っただけなの。森住なら言ってもいいって、私も甘えてた。何でも気兼ねなく話せるのは、森住くらいだから。でもそれが森住を悩ませていたんだとしたら謝る。もっと冷静に大人として話すべきだったよね、ごめんなさい」
「違う、謝らないでくれ。俺は堀井に何でも話してほしい。気兼ねなく怒ってくれていい。甘えてくれて、頼ってくれていい。むしろそうしてほしい。堀井、俺では力になれないか?」
「え?」

話がまた違う方に向いた気がして、乙葉は首をかしげる。

「森住、何かあったの?」
「俺じゃない。堀井は? 一人で抱えたり、悩んだりしてないか? 俺では頼りにならないかもしれないけど、一緒に抱えることはできるから。だから……」

その時、「失礼いたします」と声がして襖が開き、先付と日本酒が運ばれてきた。
二人で口を閉ざすと、仕切り直して乾杯する。
話を続けるきっかけが見つからず、ただ「美味しいね」と二人で料理を味わった。
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