あえかなる君へ 心からの愛を
この気持ちは?
パタンとドアが閉まって静かになると、柊はふうと息を吐いてソファに腰を下ろす。
乙葉の言葉を思い出すと、つい顔がニヤけてしまった。

(あいつ、ほんとに怖がりだな。普段の素振りからは想像つかないけど、筋金入りだ)

仕事は誰よりもてきぱきこなすし、いつも凛とした雰囲気でクールな印象の乙葉。
けれど雷とおばけにはめっぽう弱い。
それを知っているのは、果たして自分だけなのだろうか?

それに悩みを抱えているはずなのに決して弱音を吐かない。
こちらから、悩んでることがあるだろうと訊いても、見当もつかないとばかりに否定する。

(本当はたくさんの寂しさや辛さを抱えているはずなのに、それを自覚しようともしない。大丈夫なのか? あいつにはやっぱりそばで支えてくれる恋人が必要なんじゃないか。直接悩みを口にしなくてもいい、ただ抱きしめてもらって心が落ち着けば……)

そうは思うが、乙葉は恋人を作る気配すらない。
その理由を紗理奈から聞いてしまっては、余計に心配が募った。

(このまま春になって紗理奈さんが産休に入ったら、あいつはどうなる?)

考えただけで胸が痛む。
きっと乙葉は、不安に駆られてもそれを自分で認めようとはしないだろう。
それではいつか心が折れてしまう。
自分で自分のSOSサインに気づかないようでは、身体も心も限界を迎えてしまう。

(どうすればいいんだ? せめて同じ部署なら、いつも気にかけておけるのに)

悶々としていると、カチャッとドアが開いてラフな格好の乙葉が戻って来た。

「お待たせ、ありがとう」
「いや。って、またドライヤーかけてないだろ?」
「あ、忘れてた」
「待ってろ」

立ち上がってドライヤーを取って来ると、乙葉はベッドに腰掛けてタオルで髪を拭いていた。
小首をかしげてトントンと長い髪をタオルに挟む乙葉の頬は、シャワーで温まってほんのりピンクに色づいている。
柊はわざと視線をそらしてドライヤーを差し出した。

「はい、これ」
「ありがとう」

受け取ろうと手を伸ばした乙葉の長い指がかすかに触れて、柊は思わずドキッとする。

「えっと、コンセントは……。あれ? 森住、延長コードがないよ?」
「そうか。今持って来るからちょっと待ってて」

そう言い残して隣の部屋に行き、コードをコンセントから抜いて戻った。

「お待たせ。はい、これ。……堀井?」
「あ、うん」

乙葉はどうやら眠いらしく、トロンとした目は今にも閉じそうだ。

「堀井、もうちょっとがんばれ」

柊は延長コードにドライヤーを繋ぐと、スイッチを入れて乙葉の髪を乾かし始めた。
乙葉はされるがままになっているが、時折スーッと寝入るように長いまつ毛を伏せる。
柊が隣に座って乙葉の身体を支えると、乙葉は安心したようにコテンと頭を柊の肩に載せた。

(やれやれ、完全に寝ちゃったな)

そのままドライヤーをかけていると、半分は乾いたがもう半分は柊にもたれかかっているせいで乾かせない。

「堀井、堀井?」

声をかけても反応はなく、柊はドライヤーを持つ手を左手にかえ、右手で乙葉の肩を抱いた。

「ん……」

小さく呟いて、乙葉がくたりと柊の胸に身を寄せる。
ドライヤーをかけつつも、柊はすぐ目の前にある乙葉の無防備な寝顔に胸がドキドキし始めた。
ふっくらとした唇は艶やかで、思わず吸い寄せられそうになる。
スーッと気持ちよさそうな寝息が、乙葉の身体から自分の胸に直接伝わってきた。

(ちょ、待て。もう無理だ。いやでも、まだ髪が乾いてないし)

柊は大きく視線をそらして気持ちを落ち着かせつつ、早く早くと唱えながらドライヤーをかけ続ける。
少しでも早く乾かそうと右手を乙葉の髪にくぐらせると、さらさらとしたきれいな髪からほのかにシャンプーのよい香りがしてクラッときた。

(くっ、耐えろ、俺!)

どうしてこんなに動揺するのか。
恋人とつき合っていた時でさえ、こんなにドキドキした覚えはない。
自分は他の男より恋愛に対してドライで、女性の魅力もいまいちよくわからない、そう思っていた。
なのに今は、自分でも驚くほど理性が奪われそうになっている。
これはどういう現象なのだろう。

(とにかく早く離れなければ。乾け乾けー)

念を送るように心の中で唱え、なんとか無事にかけ終えた。

(ふう、よくやった俺よ)

だが安心するのは早かった。
ドライヤーをローテーブルに置くと、静けさの中ますます乙葉の身体を全身で感じてしまう。
立ち上がって離れようとすると、ぐらりと乙葉の身体が揺らいで慌てて抱き寄せた。

(だーかーらー、抱きしめてどうするんだよ、俺!)

心を無にし、片手でブランケットをまくると乙葉を両腕で抱き上げてそっとベッドに寝かせる。

(よし。あとは毛布と掛け布団をしっかりかけて、電気を暗くしたら、退散!)

決して振り返るなと己に言い聞かせながら、柊はそそくさと部屋をあとにした。
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