あえかなる君へ 心からの愛を
変わりたい
四月になり、乙葉は正式に紗理奈のあとを継いで広報課の主任となった。

少しも気を抜けない日々。
周りを指導する立場にある為、自分のミスなど決して許されない。
毎日顔をこわばらせ、肩に力が入ったまま一日を過ごし、帰宅するとベッドにバタンと倒れ込む。
そんな毎日だった。

ある日のこと。
乙葉は同じ広報課で四歳上の神田(かんだ)に声をかけられた。

「堀井さん、プレスリリースの原稿チェックお願いします」
「はい、わかりました」

受け取った原稿を早速チェックすると、言い回しや言葉遣いが妙に引っかかった。

『今、若者の間で一番人気のゲームアプリ、ついにパージョンアップ! おもしろさがさらにUP! 夢中になること間違いなし! リリースの詳細は以下をご参照ください。お見逃しなく!!』

何度も読み返し、乙葉はため息をつく。
SNSならまだしも、公式ホームページに掲載するプレスリリースにこの文面はどうなのだろうと首をひねった。
過去のプレスリリースを見返してみても、ここまで砕けた文面のものはない。

(どうしよう……。どこまでが許容範囲?)

気になる部分に赤ペンを入れたが、本人に返すのは怖かった。

(こんなことでどうする!)

深呼吸しながら左胸に着けた柊のブローチに右手で触れ、勇気をもらって席を立つ。

「神田さん」
「はい、何でしょう?」
「原稿、私なりに気になる点にチェックを入れさせていただきました。どうでしょうか?」

差し出した原稿を受け取ると、神田は黙って目を通す。
ドキドキしながら待っていると、やがて顔を上げて乙葉を見た。

「確かにこれまでとは雰囲気が違いますが、わざとです。紗理奈さんから新しいことにチャレンジしてと言われたので」
「そうですか」

乙葉はギュッと両手を握りしめる。

「それはもちろんよいことだと思います。SNSでしたら、こういった文面の方がふさわしいかもしれません。ただプレスリリースは事実を関係各位に正確に端的に知らせる意味合いもありますので、形式を大事にし、文語体のような文面はさけるべきかと考えますが、いかがでしょう?」

言い方にトゲごないか、慎重に気を遣いつつ話し、唇を引き結んで神田の言葉を待つ。
神田は小さくため息をつくと、「わかりました」と頷いた。

「おっしゃる通り、これはやり過ぎですね。書き直します。けどね、堀井さん。もっと明るく話してもらいたいの。『これはやり過ぎだよー』って紗理奈さんみたいに言われたら、私も『ですよねー、やり直しまーす』って笑って終わりだったのに。堀井さんに言われると、何だかすごく大きな問題を起こしたような気がしちゃう」
「そうですよね。申し訳ありません」
「ほら、それも。見て。周りの人が何ごと? って顔で見てる。私が堀井さんをいじめてるって思われたら……」

そんなこと! と乙葉は慌てて遮った。

「すみません、大きな声で。でも本当に私、神田さんにそんなこと思ってませんから」
「そうね。私も堀井さんに対してそんなつもりはないわよ? お互いもっと上手くやれるといいわね。気楽に行きましょ」
「はい、ありがとうございます」

お辞儀をして席に戻る。
けれどどうしていいかわからず、乙葉は気持ちを切り替えようとラウンジに向かった。

(はあ……)

温かいミルクティーを淹れて窓際のカウンターチェアに座り、大きなため息をつく。

(どうすれば紗理奈さんみたいにやれるんだろう)

神田の言うことはもっともだし、自分が間違ったことを言ったとも思わない。
コミュニケーションが上手くいかなかっただけだ。

(でもそれが致命的。一体、どうすれば……)

その時ふいに「堀井!」と呼ばれて乙葉は顔を上げる。
柊が近づいて来るところだった。

「ここにいたんだ。悪い、グッズのサンプルもう一回借りていいか? 写真を撮り直したくて……って、どうした!?」

柊は驚いたように駆け寄ってきて、乙葉の顔を覗き込む。

「何かあったのか?」
「ううん、違うの。私が気弱になっただけ。えーっと、サンプルだよね。今持って来る」

チェアから降りると、「待てって」と柊に腕を取られた。

「そんな顔で戻るのか?」
「そんな顔って?」

そう言った次の瞬間、乙葉の目から涙がこぼれ落ちた。

「え、どうして……。ごめんなさい、何でもないから」

顔をそらして涙を拭うと、柊が腕を伸ばしてギュッと乙葉を抱きしめた。

「無理するな。涙が込み上げるのには理由がある」

耳元でささやかれる低い声と大きな腕の温もりに、乙葉の心がじわりとしびれた。
と同時に、恥ずかしさに頬が火照る。

「本当に大したことないの。それより他の人が通りかかるから」
「関係ない。今の堀井には誰かの支えが必要なんだ。抱きしめられる温もりで、心から安心できるように」
「大丈夫。丸めた布団に抱きつくから」
「おい、俺は丸めた布団以下なのかよ?」
「うん。じゃあサンプル取って来るね」

乙葉は赤くなった顔を見られないよう、うつむいたままスルリと柊の腕から逃れ、タタッと立ち去った。
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