トラスト・ファンド・ベイビー 〜信託金目当てだったはずの金髪碧眼な資産家俳優に、私の絵ごと狙われています〜
「――お先に失礼しまーす」
「あ、新島さん!ちょっと待って!こっち、こっち」
季節は移り変わり、少し遅めの秋の匂いが漂い始めた頃。
上がりの時間になって事務所に居た店長に声を掛けると、彼女は慌てた様子で葵を手招きした。
「十一月のこの日なんだけど、シフト入れたりしないよね?」
どうやらパソコンに表示される来月の勤務表に頭を悩ませている様子だった。
協力したいところだが、示された日は毎年参加しているデザインのイベントがある日だ。
「あー……ごめん、その日は外せない予定があって……」
「だよねぇ。いや、そうだとは知ってたけど、一応、確認したかっただけだから。呼び止めてごめん!帰って大丈夫だよ」
今年二十七になった葵と彼女は同年で、そして元パート仲間である。
彼女の方は社員になって、そして最近店長に昇進した。
そんな風に頑張っている姿を見ると、片や自分は一体何をしているのだろうと寂しい気持ちにもなるが、しかし葵には諦めきれない夢がある。
そのために未だ正規雇用を選ばず、柔軟性のあるパートタイムという働き方を選んでいる。
――帰ったらノベルティを作ろう。今年はどれぐらい用意しようか。去年と同じで、いいか。あぁ、名刺……もう切れるんだっけ。
オリジナル作品を出品するイベントに向けて、そんなことを考える。
葵は一応、アーティストだ。
かつて、とある出版社で絵本の挿絵を二冊担当して、それ以降は大きな実績がない、埋もれたアーティスト。
今では年に一度だけライブペイントを発表するのが一大イベントで、普段は挿絵などイラストの仕事をネットで細々請けている。
どちらも爆発的にヒットするようなことはなく、しかし諦めては夢がただの夢で終わりそうでなんとか続けているという、溺れる一歩手前。
まさに、うだつが上がらない人生。
しかしそんな代わり映えのない日々が、この日、突然終わりを告げた。
裏手から店を出て、一人暮らしのアパートに向かって歩いていた時、見慣れぬ高級SUVが通り過ぎたかと思えば少し先で停車し、中から降りてきた人物が葵を見るなり「アビー!」と呼んだのだ。
自分をアビーと呼ぶ人物なんてこの世で一人しかいない。
『アオイ?呼びにくいな。アビーでいいだろ』
そんな風に強引に決めてしまった人。
葵をアビーと呼んだのは、胸元が少しはだけたブラックスーツを着込む金髪碧眼の男性。
体幹の良さを感じさせる佇まいに、長い手足。
神の贈り物かと思わせるほどの繊細な造形美。
そして、まるで自分は王様だと言わんばかりの気の強さが滲む目元。
驚き言葉を失っていると、何故か真っ赤な薔薇の花束を持った彼が歩み寄ってくる。
「え……?」
双眸を大きくまたたき、幻覚でも見ているのではないかと疑った。
「忘れたか?リアム・ギルフォードだ」
彼が出演した映画で何度も聞いた色気のある声が、日本語になって直接耳孔に響いてくる。
忘れるなんて、まさか。
むしろ忘れた日はなかった。
強引で、傲慢で、なのに憎めない、かつてアメリカで出会ったひと夏の友人。
「僕と結婚しよう、アビー。君の作品は全てうちのギャラリーで取り扱う。この僕が、君の夢を叶えるよ」
途端に目の前が真っ赤な花弁に埋めつくされ、葵はたじろいで一歩後退った。
「……なんで!?」
あり得ない。
彼は、ニューヨーク州ロングアイランド北岸に広大な邸を構える名門ギルフォード家の一人息子。
役者に、美術品のバイヤーと、様々な顔を持ち、それらを裏打ちする才能をも持つ、神に愛された存在。
彼が望めば何でも手に入る。
勝ち組人生を歩むトラスト・ファンド・ベイビー。
そんな彼が、一体どうしてこんなところに現れるのだろう。
これはきっと夢かもしれない。
「あ、新島さん!ちょっと待って!こっち、こっち」
季節は移り変わり、少し遅めの秋の匂いが漂い始めた頃。
上がりの時間になって事務所に居た店長に声を掛けると、彼女は慌てた様子で葵を手招きした。
「十一月のこの日なんだけど、シフト入れたりしないよね?」
どうやらパソコンに表示される来月の勤務表に頭を悩ませている様子だった。
協力したいところだが、示された日は毎年参加しているデザインのイベントがある日だ。
「あー……ごめん、その日は外せない予定があって……」
「だよねぇ。いや、そうだとは知ってたけど、一応、確認したかっただけだから。呼び止めてごめん!帰って大丈夫だよ」
今年二十七になった葵と彼女は同年で、そして元パート仲間である。
彼女の方は社員になって、そして最近店長に昇進した。
そんな風に頑張っている姿を見ると、片や自分は一体何をしているのだろうと寂しい気持ちにもなるが、しかし葵には諦めきれない夢がある。
そのために未だ正規雇用を選ばず、柔軟性のあるパートタイムという働き方を選んでいる。
――帰ったらノベルティを作ろう。今年はどれぐらい用意しようか。去年と同じで、いいか。あぁ、名刺……もう切れるんだっけ。
オリジナル作品を出品するイベントに向けて、そんなことを考える。
葵は一応、アーティストだ。
かつて、とある出版社で絵本の挿絵を二冊担当して、それ以降は大きな実績がない、埋もれたアーティスト。
今では年に一度だけライブペイントを発表するのが一大イベントで、普段は挿絵などイラストの仕事をネットで細々請けている。
どちらも爆発的にヒットするようなことはなく、しかし諦めては夢がただの夢で終わりそうでなんとか続けているという、溺れる一歩手前。
まさに、うだつが上がらない人生。
しかしそんな代わり映えのない日々が、この日、突然終わりを告げた。
裏手から店を出て、一人暮らしのアパートに向かって歩いていた時、見慣れぬ高級SUVが通り過ぎたかと思えば少し先で停車し、中から降りてきた人物が葵を見るなり「アビー!」と呼んだのだ。
自分をアビーと呼ぶ人物なんてこの世で一人しかいない。
『アオイ?呼びにくいな。アビーでいいだろ』
そんな風に強引に決めてしまった人。
葵をアビーと呼んだのは、胸元が少しはだけたブラックスーツを着込む金髪碧眼の男性。
体幹の良さを感じさせる佇まいに、長い手足。
神の贈り物かと思わせるほどの繊細な造形美。
そして、まるで自分は王様だと言わんばかりの気の強さが滲む目元。
驚き言葉を失っていると、何故か真っ赤な薔薇の花束を持った彼が歩み寄ってくる。
「え……?」
双眸を大きくまたたき、幻覚でも見ているのではないかと疑った。
「忘れたか?リアム・ギルフォードだ」
彼が出演した映画で何度も聞いた色気のある声が、日本語になって直接耳孔に響いてくる。
忘れるなんて、まさか。
むしろ忘れた日はなかった。
強引で、傲慢で、なのに憎めない、かつてアメリカで出会ったひと夏の友人。
「僕と結婚しよう、アビー。君の作品は全てうちのギャラリーで取り扱う。この僕が、君の夢を叶えるよ」
途端に目の前が真っ赤な花弁に埋めつくされ、葵はたじろいで一歩後退った。
「……なんで!?」
あり得ない。
彼は、ニューヨーク州ロングアイランド北岸に広大な邸を構える名門ギルフォード家の一人息子。
役者に、美術品のバイヤーと、様々な顔を持ち、それらを裏打ちする才能をも持つ、神に愛された存在。
彼が望めば何でも手に入る。
勝ち組人生を歩むトラスト・ファンド・ベイビー。
そんな彼が、一体どうしてこんなところに現れるのだろう。
これはきっと夢かもしれない。