虚無に咲く華
雅が振り返る。
「へぇー。そんなことできるんだぁ」
「当たり前だろ」
裕也はソファーに腰を下ろした。
「捨て猫にはミルクって決まってんだよ」
「また捨て猫って! もう少し言い方ないの?」
「じゃあ、何て呼びゃいいんだよ」
「それは……」
雅は女を見た。
女はカップを両手で包むように持っていた。
ゆっくりと口元へ運び、一口飲む。
温かいミルクが喉を通っていく。
女はカップの中をじっと見つめた。
そして――。
ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
裕也はその表情を見た。
雅も気づいた。
大河は何も言わず、視線を手元へ落とした。
「……で、雅。飯はまだか?」
「今作ってるでしょ!」
「腹減ったんだよ」
「子供じゃないんだから、少し待ちなさい!」
二人の声がリビングに響く。
女はもう一度、ミルクを口に運んだ。
しばらくして、キッチンからバターの香りが漂ってきた。
雅は冷凍ピラフをフライパンで炒め、卵を溶いている。
ジュワッ。
温まったフライパンに卵液が広がり、黄色い表面がゆっくりと固まっていく。
「よし、こんなものかな」
雅はピラフを卵で包み、皿へ盛りつけた。
仕上げにケチャップをかける。
「できたわよー!」
大河が立ち上がり、キッチンへ向かった。
「雅さん、運びます」
「あら、ありがとう。助かるわ」
大河は皿を一枚ずつテーブルへ運んだ。
裕也は待ちきれない様子でソファーに座り直した。
「おお! オムライスか!」
「冷凍ピラフだけどね」
「うまそうじゃねぇか!」
三人分の皿が並べられ、大河も一緒に席についた。
女の前には、少し小さめに盛られたオムライスが置かれている。
温かい湯気が立ち上っていた。
裕也はスプーンを手に取った。
「俺、腹ぺこなんだよ! 食うぜ!」
大きくすくい、勢いよく口へ運ぶ。
「んぐっ……うめぇ!」
「もう! ゆっくり食べなよ! 汚いなぁ!」
雅は呆れながらも笑っていた。
大河は静かに手を合わせた。
「いただきます」
そしてスプーンを取る。
雅は女へ目を向けた。
「食べられるだけでいいからね。味の保証はないけど」
そう言って、くすりと笑った。
女は目の前の皿を見つめていた。
黄色い卵。
赤いケチャップ。
ふわふわと立ち上る湯気。
ゆっくりとスプーンを握る。
そして、唇がわずかに動いた。
「……いた……だきます」
小さな、小さな声だった。
裕也の手が止まった。
雅も思わず顔を上げる。
大河はスプーンを持ったまま、女を見た。
初めて聞く声だった。
裕也は何も言わず、再びオムライスを口へ運んだ。
雅もそっと視線を皿へ戻す。
女はスプーンで卵を少し切り取り、口へ運んだ。
ゆっくりと噛む。
そして、もう一口。
「……あたたか……い」
雅は顔を上げた。
女はオムライスを見つめたままだった。
雅の目に涙が浮かんだ。
慌てて顔を伏せ、スプーンを握り直す。
「……そう。よかった」
裕也は黙って食べ続けていた。
大河も何も言わなかった。
ただ、女が次の一口を運ぶまで、誰も急かさなかった。